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心理テストと
日記
2009/6/21
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「脳死」と宗教観は密接に関係してる…今日この頃。
/(-_-)\ ウ〜ン
西洋と東洋、キリスト教文化と仏教文化の違いが「脳死」を受け入れるか、受け入れられんかの違いで表われてると思う。
欧米でも、「脳死」って概念が出来た時は、色々混乱もあったけど、「心身二元論」っちゅうか、魂と肉体は別物っちゅう概念が欧米にはある。
体は魂の入れ物っちゅう考え方やから、「脳死」も受け入れやすい。
それに対して、仏教は「色心不二」とか「心身一如」っちゅう言葉があるように、心と体は一体っちゅう考え方やから、「脳死」っちゅう概念は受け入れ難い。
この考え方は、東洋医学と西洋医学の違いにも表われてくる。
西洋医学は、「病気」を対象にしとるけど、東洋医学は「患者」っちゅう人間全体を対象にしとる。
だから、西洋医学は、悪い部分を排除することで治療しようとするけど、東洋医学は、心身のバランスが崩れてるから「病気」になってるっちゅう考えやから、バランスを戻して、健康を取り戻そうとする。
病の元を取り除こうとする西洋に対して、病の元と共存しようとする東洋。
これだけ違うと「死生観」も変ってくるわな。
まぁ、それでも、ぶんぐの読者さんの中でも、「脳死は人の死」とする人が多数やし、世論調査でも「脳死は人の死」が多数派やから、日本人も西洋の合理的な考え方が浸透してきたっちゅうことか。
けど、こうやって「脳死は人の死」と認める土壌が出来つつあっても、「臓器移植」が加わると…
「脳死は人の死」と認める人でも、「我が子が脳死と判定されたら臓器を提供するか?」って聞かれると、「提供する」って答える人は30%になる。
この辺が、頭では理解出来ても、気持ちがついていってないっちゅう心の揺れの表われやな。
こういう人は、我が子が臓器移植が必要ってなると、募金してでも臓器移植を望むんやろうけど…
まだまだ医療の進歩に哲学が追いついてないんやな。
今までは、「臓器移植」なんちゅう治療法がなかったから、「脳死」だの何だの、考えることもなかった。
脳死に限らず、戦争だの貧困だので、「死」も身近にあって、死を受け入れる心構えが出来てた。
それが、医療の進歩で「生きてるのが当たり前」「医者にかかれば治って当たり前」になって、「医療訴訟」まで起こるようになった。
欲望が満たされて、傲慢になってきてるんかもな。
一度立ち止まって、「死」を見つめて、「生きてるのは当たり前」やないことを思い出さなあかん。
「生きてる」んやなくて「生かされてる」からこそ、人間は確実に死ぬ。
人間は、「死」は選ぶことが出来ても、「生き続ける」ことや「生まれる」ことは、自分の意思では選べん。
「生」は、選ばれへんねんな。
「死」を抗うことは出来ても…
結局、「どう死ぬか」でしか、「どう生きたか」を立証出来ん。
現代人は、遠ざけた「死」を見つめ直して、だらだら生き続けるんやなくて、「どう生きるか」を考えるべきやな。
それと、「脳死」を人の死と認めん人に聞いてみたいんやけど、脳が移植可能になったとする。
脳を移植したら助かるAという人がいる。
これは「脳死状態」と同じことを意味しとるんやけど、この人にBという「心臓死」をした人の脳が移植出来るとする。
Bという人の脳を移植したAという人は誰になるんや?
Aなん?
Bなん?
逆の「心臓移植」は、BはBっちゅうのに異論はないと思うけど…
「心臓死は死んでる」、「脳死は生きてる」とすると、この大いなる矛盾に直面することになる。
「自分」とは何なのかっちゅうことやな。
みなさんは、どう思います?
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神との対話〈2〉宇宙を生きる自分を生きる
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何はトモアレ英語力
1日5分ミルミル上達◎
それでは心理テストを
街中で偶然様々な人達と出会いました。
その人達は、あなたの知り合いなのですが、それぞれ誰だと思いますか?
次の5つの質問に、それぞれ誰なのかを思い浮かべて下さい。
「夕暮れの時の公園でブランコに乗っている人」
「スーパーマーケットで夕食のおかずを買い物していた時にばったり出会った人」
「駅のホームの反対側に見かけた人」
(その人とあなたのどちらが上りホームなのかも合わせてお答え下さい)
「扉の閉まりかけた電車に、あわてて駆け込んで来た人」
「あなたの目の前の鏡に映りこんだ人」
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