心理テスト 日記
2007/9/27
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裁判員制度を考えると少々怖い…今日この頃。

光市母子殺害事件で号泣した弁護士のブログを読んで、この弁護士の主張にゃつっこみたい事が山ほどあるんやけど、ふと思ったのが「裁判」ってそういうもんなんやっちゅうことを改めて認識したわ。

「裁判」は真実を解明するもんやないっちゅうことをな。

形式上は「真実」を解明する作業なんやけど、その「真実」は「嘘」でもええっちゅうことやねんな。

どういうことか。

結局は、判決を下す裁判官をいかに「納得」させられるか。

「被告人側の主張」と「検察側の主張」のどっちがより「真実」かを裁判官が判断するのが日本の司法制度。

だから、「真実」であっても、自分に不利になる「真実」は出す必要はない。

また、如何に自分が「可哀想」か、悲惨な家庭環境かを脚色して伝えて、「情状酌量」を誘うことも可能。

で、色んな「嘘」を含めて、裁判官が判断する

「真実」かどうかっちゅうより、裁判官が「真実と思う」かどうか

これが現在の「司法制度」。

「裁判員制度」っちゅうのは、この判断を大衆にもやらせようってこと。

いわゆる「法律家」に比べて、知識や人を裁く経験の少ない大衆が、正しい判決を下すことは可能なんやろか。

しかも参加するのは「死刑」が出る可能性のある凶悪事件のみ。

「死刑」が出るっちゅうことは、人が死ぬ事件のことやな。

人が死ぬ事件っちゅうと…

「殺人」「傷害致死」

「殺人事件」と「交通事故死」の方が分かり易いか。

同じ人が死ぬ事件でも、量刑には雲泥の差がある。

だから「殺意」が重要になる。

大衆から見ると

「殺意なんか関係あるか。結果として人が死んどるねん。厳罰(死刑)にしろ」

(オイラもそういう意見やけど…)

となるけど、法律家は

「厳罰、厳罰って言うけど、あんたも加害者になる可能性があるんやで」

と言う。

「殺意のある殺人」と、「結果として人が死んだ」のとは違う認識なんやけど、これが大衆には理解出来ん。

だから法律家は、「結果として人が死んだ」ちゅう線で弁護するんやけど、大衆から見ると「そんなアホな」になるんやな。

大衆は「被害者(遺族を含む)の気持ちを考えろ」

法律家は「冤罪の可能性もあるし、加害者にもそれなりの事情がある」

となる。
ここが、大きなズレやな。

大衆(オイラも含めて)が光市母子殺害事件や、その他凶悪事件の裁判で「弁護士」に怒りを覚えるのは、ここの認識がいわゆる「法律家」と一般大衆にズレがあるからやろな。

だから「そんなヤツを弁護するヤツも悪者」になる…

まぁ、TV等の報道の影響も大きいんやろうけど、とかく大衆は凄惨な「事実」ばかりに目がいき、「何でそうなったんか」っちゅう事を考えることをやめる。

また、それを知る為の「情報」も少ない。

だから大衆は「厳罰が犯罪抑止に効果的」って意見になる。

「犯罪抑止」っちゅうのは新たな犯罪者を出さん為のもの。

となると、本来は「何でそうなったんか」を知ることの方が重要のはず。

「加害者の人権に配慮」っちゅう意見には賛同できんけど、「何でそういう事件が起きたのか」っていう加害者側の目線を知ることは、身内や知り合い、本人を含めて「犯罪者」を出さん為にも必要な作業やろな。

話がだいぶずれたので元に戻して…

裁判は「疑わしきは被疑者被告人の利益に考える」のが原則。

判決が確定するまでは「無罪」を前提に審理せなあかんのやけど、大衆は「逮捕」された時点で「犯人」やと思っとる。

そういう状況で、冷静に客観的に人を裁くことが出来るんやろか?

とかく他人の意見に影響を受け易い国民性。

この状態で裁判員制度なんか実施したら、「口が上手い」もしくは「演技が上手い」人間が圧倒的に有利になるし、凶悪事件ほど「先入観」が入ることになり、被告人側の意見は全て「嘘」に聞こえ、検察側の意見は全て「真実」に聞こえる。

となると、「他に犯人はいないのか」っていう可能性を考えることもおろそかになるやろ。

ここで問題になるのが「冤罪」

「法律家」っちゅうのは、犯罪者を裁くことよりも、この「冤罪」をなくすことに重きを置いとる。

まぁ、当然ちゃ当然か。

そうなると、必然的に「無罪」の可能性を探ることになるわな。

弁護側は被告人が真実を述べてて、検察が嘘をついてることを前提に進める。

けど、大衆はTV等で「残虐」なイメージを植えつけられ、TV等の「情報」も検察側の「情報」が元やから、大衆心理は被告人に厳しくなる。

大衆は、検察側が真実を述べてて、弁護側が嘘をついてる思う。

そういう先入観や庶民感情を除いて、冷静に客観的に、判決を下すことなんか出来るんやろか。

オイラは自信ない…

逆から見ると「情状酌量」

検察側が全面的に正しいとしても被告人側は、あらゆる手段を使って「減刑」に動くのは周知の事実。

「可哀想」って偽善ぶりたいのが人間の性。自分の判断で人が死ぬとなるとなおさらやな。

そうなると、被告人側に情が移り、刑を軽くしてあげたいと思う可能性も出て来る。

「法律家」が受けるような教育を受けてない庶民は、「情」によって量刑を左右することになりかねん。

しかも、検察と被告人の「主張」の矛盾を調べるには、自分の足と目で「情報」を集めんと無理やろ。

そんなこと、そういう教育も受けてなければ、そういう時間もない一般庶民に可能なんやろか…

どう考えても、オイラは自信がない。

まぁ、「裁判員制度」に限らず、TVや新聞の情報を受け入れる際の「メディア・リテラシー」もそうやけど、「嘘を嘘と見抜ける目」を持つことが強く要求される時代になったってことやな。

その割には、そういう「教育」がされてないのは何でや?

まぁ、どっかに国民が賢くなると困る人がおるんやろ。

政治家とか、マスゴミとか…

自ら磨かなあかんっちゅうことを理解してる国民がどれだけおるんやろ。

後2年で裁判員制度が始まるし、普段の生活でも「情報」が溢れかえっとる。

制度を変える前に、まず「教育」の充実が先な気がするんやけど…

何にしても、あのブログを読んで人が人を裁くのがどういうことか、裁判とはどういうものか、考えさせられた。

主張自体は相容れんから、気持ちは「死刑」で変わらんけど…

死刑制度を考えた時も思ったけど、「人が人を裁く」、「人が人を判断する」っちゅうのはそれだけ難しい「作業」ってことなんやな。

そう考えると「法律」はまだまだ未整備やし、逆に「法律」って何やねんと思う。

色んな意味で「法」で人を「治める」、「法治国家」っちゅう概念も歪が出てきたんやろな。

秋の夜長に色々考えるか。

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それでは心理テスト
あなたはまな板の上にいる魚。
今にも包丁を振り下ろされ、刺身にされてしまうところです。
何とか命を助けてもらう為に、あなたならどんな言葉を口にしますか?

「『家族がいるんです』と、ひたすら同情を誘う泣き落とし戦術に出る」

「『助けてくれたら、お礼に竜宮城の宝物を差し上げますよ』と取引きする」

「『いつかきっと、私を殺したことを後悔する時が来るでしょう』と脅す」