◆ 体罰自殺 バスケ部員は葛藤

産経だけ唯一この教師を擁護する記事を書き続けとるんやけど…

遠距離通学で弁当を持たせてもらっていない部員には、顧問が妻に弁当を作らせたり、厳しい合宿に耐えられずに抜け出した部員を未明まで探し、発見後は一緒にご飯を食べながら部員の話に耳を傾けるなど人情派の一面もあったという。

こういう話も聞くとイメージ変ってくるな。

ただ、「体罰」って「罰」っていうからには「罪」が必要で、この場合に「体罰」っていうのはおかしいやろな。

個人的に「体罰容認派」なんやけど、オイラが思ってるのは、俗に言う「不良」の類にやる場合の話やし、「体罰」は、「指導」でも「教育」でもなく「調教」の類やと思ってる。

猛獣に芸を仕込むにゃ、恐怖が必要なわけで、それと同様に、ガキには「調教」が必要な場合があると思ってる。

猿がボス猿に逆らわんように、ヒトになりきれてないガキの場合は、絶対的な上下関係を示してやらんと理解できんのもおるねん。

言うて分かるようなヤツに「体罰」なんか必要ない。

まぁ、「体罰容認派」なんで「体罰」自体は擁護したいんやけど、こういうケースを「体罰」っていうのはやめた方が良いと思う。

そもそも、こういうケースでの「体罰」ってのは歴史が浅い。

資料に残ってないだけかもしれんけど、そもそも「学校」みたいな集団教育体制ってのが始まったのが明治から。

で、「体罰」ってのが教育の場に表れてくるのが日露戦争後。

大きな集団を統率する方法を軍隊以外知ってるとこがなかったんで、そこに頼ったってとこから始まってる。

軍隊は、命令が絶対で、命令には服従せなあかん。

そこには「恐怖」による支配が必要やから、それを徹底する為に暴力的威圧が生まれたと。

ようするに、オイラが言うてる「調教」と同じ理屈。

体育会系の部活動なんかは、猛獣に芸を仕込むのと同じ理屈で「体罰」が横行しとるねんな。

戦後、戦前の教育を否定したにも関わらず、これ以外に良い教育方法が見つからず、そのまま現在に至るってのがこの部活動での「体罰」。

まぁ、「体罰の歴史」はこれぐらいにして、このケースもこれだけ擁護する生徒がおって、弁当がどうとかそういう気配りもあるんで、見方によっちゃ「愛のムチ」とも取れるんやけど、それなら「暴力」の耐性も見極めるべきやったな。

何にしても、「死んだから体罰をなくす」みたいな事になると、死んだもん勝ちになってしまう。

個人的に自殺者を擁護するのは、自殺の増長につながると思ってるんで、そっち方面に進まんと、「体罰とは何なのか」っちゅうもっと根本的な議論をして、なくすならなくすで、どういう指導法が効果的なのか、残すなら、どういう時に限定するのか。

深い議論をして結論を導いて欲しいもんです。

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