◆ 歩道橋事故 免訴に遺族無念
まぁ、当然の判決ですな。
ちゅうか、これで警察の署長、副署長の責任が問われるなら、そんな混雑してるとこに連れて行った責任はどうなんって?話になりかねんで。
遺族にとって、11年7カ月は苦難の連続だった。下村さんらは警察幹部に最大の責任があると考え、検察審査会に不起訴不当を申し立てた。全国の事故遺族らとともに被害者支援などを訴える活動も行い、被害者参加制度や強制起訴の導入につながった。
「警察幹部に最大の責任」なぁ。
まぁ、人が死んでるんで、悲しみを癒すのに誰かを恨むっちゅうのは効果的なんで、こういう八つ当たり的なもんも心情的には分かるんやけど、「自分の身は自分で守る」のが原則なわけで、自分の身を守れん子供や年寄りについては、第一義的には保護者に責任がある。
警備の不手際なんかはあったやろうから、「道義的責任」はあるやろうけど、「刑事責任」を問うの無理筋やろ。
そもそも、あれだけの人がおったら事故が起きるってのは予想できたやろ?
小さい子を連れて、年寄りを連れて、何でそんなとこに突入したん?
小さい子とか年寄りがどうなるか考えず、自分の感覚だけで突入したから自分は生きてるんやん。
そういう事を考えられへんかったのが一番の原因やとは思わんか?
黙っときゃ「可哀想に…」で終わる話やのに、こういう事をするから違う感情がわいてくる。
何でもかんでも誰かのせい、何かのせいにして訴えるっちゅう風潮はやめて欲しいもんですな。
まぁ、裁判をする事で、「何でこんな事故が起きたのか」って検証をさせる為とか、二度とこんな事故を起こさない為に世論を喚起するとか、そういう側面では裁判の意義はあるけど、「責任」を追求するっちゅうのは、ちょっと違うと思う。
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訴えてやる!!!―ちょっとおかしなアメリカ訴訟事例集
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