◆ 桜宮余波 学校で生徒の挑発増


だから「体罰」は必要やって言うたやん。

桜宮の事件以降、挑発・揶揄があったと回答したのは約5割の62校。具体的には、生徒から殴るそぶりをされた際に手を振り払うと「体罰や」と言われた▽喫煙をした生徒から「何を言われても変わらない。変えたかったら、しばけや」と言われた−などがあった。

約4割の48校がこうした行為が「(桜宮事件の)以前よりも増えた」と回答。「以前は0回だったが月10回ぐらいに増えた」や「ほぼ毎日」「事あるごとに挑発行為が起こる」などの申告があった。

「生活指導がやりにくくなった」と答えたのは約6割の81校。「教諭が手出しできないという感覚で平気で物を壊したり、傷つけたりすることが増えた」という指摘や、「暴力や危険行為を防ぐための行為でも体罰と言われかねない」「状況や背景に関係なく体罰の言葉でくくられる」などの悩みも寄せられた。


言うて聞くようなヤツなら、最初からやっとらんわけで、やっても「恐い思い」をせんのが分かってたら、調子に乗ってやるって。

それがガキのガキたる由縁なんやから。

スポーツの指導に「暴力」を使うっちゅうのと、悪さするヤツをしばく「体罰」とは別物やのに、一緒にして「体罰禁止」って言うからこういう事になる。

赤間校長は「想像していた以上にひどい状況」としており、今後は研修会などを通じて挑発行為への毅然(きぜん)とした指導を求めていく。

どう「指導」すんの?

「暴力」っちゅうか、「力」を封じられて、悪さを封じる方法があるなら、逆に教えてもらいたいわ。

拳銃持ってる犯人に丸腰で説得して解決するケースってどんだけあんの?

SATにしろ何にしろ、最終的には「力による制圧」ってもんがあるから、説得なり交渉なりってのもやれるわけで、それがなけりゃ、際限なく相手の言いなりにならなあかん。

外交交渉にしたって、最終的には「軍隊」ってもんがあるから、強気の交渉もできるし、相手も話し合いに乗ってくる。

「指導」に「暴力」は必要なくても、「教育」には「暴力」は必要やねん。

前にも書いたけど、不戦の仏教ですら、明王っちゅうもんがおるわけで、力による善導ってのも時には必要やねん。

言うても分からんヤツ、言うても聞かんヤツってのが少なからずおるって事を忘れたあかん。

そんな言うて素直に聞く「聞き分けの良い子」しかおらんのやったら、この世に「犯罪者」なんてもんはおらんっちゅうの。

こういう調子に乗った悪ガキをのさばらしてたら、迷惑するのは、それこそ「聞き分けの良い子」やねんで。

ほんま、綺麗事しか言わん「体罰否定派」とやらに、このケースをどうやって解決すんのか教えて欲しいもんですな。

何にしても、「暴力」っちゅう「力」を取り上げるなら、すぐに警察に突き出すなり、退学、停学っちゅう処分をすぐ下すなり、違う形の「力」を認めるべきですな。

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それでも、体罰は必要だ!


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