◆ 戦没者230万人 6割は餓死か


何度か書いてるけど、あの戦争の最大の問題はこれやねんな。

赤紙一枚で戦地に送っときながら、餓死、病死させといて、誰も責任を取ってない。

総務省、厚生労働省などによると、1937〜45年の戦没者230万人を戦死、病死などの死因別に分類した公的な記録は存在していない。終戦前後の混乱時に多くの資料が失われたことや、敗戦で記録を残すのが難しかったことなどが影響している。

責任を取るどころか、検証もしとらんし、実態を把握すらしとらん。

「敵の弾で死ぬのも、餓死するのも、死んだ事には変わりない」って言われりゃ、そうなんかもしれんけど、戦地に行くんやから、敵の弾で死ぬのはまだ納得できても、餓死は納得できんやろ。

兵隊をこういう扱いするから、「特攻」「玉砕」なんちゅう戦法が生まれるねん。

零戦にしたって、当時最高性能を誇ったっちゅうても、極限まで軽量化された結果であって、それの犠牲になってるのがパイロットの安全性。

「どうせ当たりゃ死ぬんやから…」って言われりゃ、それもそうなんやけど、この辺の考え方の根本がアメリカと全然違った。

アメリカは装甲を厚くしてパイロットの安全性を重視して、それで重くなった分をエンジンの馬力を上げて対抗したけど、日本は安全性を無視して、軽量化に次ぐ軽量化でパイロットの技術に頼った。

最初のうちは、性能も技術も上回ってるから、ほとんどが生きて帰ってきて、また出撃できるから、連戦連勝。

これが性能で追いつかれると、優秀なパイロットがどんどん死んで、パイロット不足に陥る。

それまでは、十分な訓練を積んでから実戦投入されてたのに、パイロット不足から、訓練もそこそこで実戦投入されて、簡単に死なせる。

で、「どうせ、死ぬなのなら…」って事で、「特攻」になる。

餓死も、病死も、特攻も、全てにおいて、日本は兵隊の命を軽く扱い過ぎとるねん。

大本営参謀らのエリート軍人について、半藤氏は「緒戦の勝利におごり、自己の実力を省みず、攻勢の限界線をはるかに越えた」と戦略上の失敗を指摘したうえで、「人間をまるで、将棋の駒のように扱った」と批判している。

まさにこれ。

で、これに対する責任は誰も取ってないどころか、公職追放から復帰して、首相になったヤツまでおる。

対外的には、いわゆる東京裁判で一応の決着はついとるけど、国内的には何もされとらんねん。

海外に謝罪する暇があったら、まず日本国民に謝罪するべきやねん。

「対外的に謝ったからもう終わり」っちゅうて、国として誰の責任を追及する事もなく、検証する事もなく、今に至ってる。

だから、政治家や役人の「無責任体質」ってのが治らんねん。

あの原発事故でも誰も責任を取ってないし、現場作業員を「特攻」させた。

結局、「お上」は、あの時代から何も変わっとらんねん。

役人や政治家が、どんだけミスをしても責任を追及されんし、赤字を垂れ流して、借金を膨らませても、国民にツケを回すだけ。

日本人は、「特攻」を「美化」したり、あの戦争を「美化」するのも結構なんやけど、大本営には自分は安全地帯におって、兵隊に無理難題を押しつけたクズがようけおるって事をもっと知るべきですな。

インパール作戦

とか…

ガダルカナル島の戦い

とか、この辺の無能っぷりを検証して、国として誰に責任があんのかはっきりさせる必要があるねん。

この作業をやらん限り、日本の政府ってのは、永遠に無責任体質のまま。

来年で戦後70年の節目を迎えるんで、対外的に慰安婦の検証をすんのも結構なんやけど、国内的に、あの戦争をしっかり検証して、誰に責任があったのか、何をどう間違えたのか、しっかり総括するべき。

それを国として、しっかり国民に説明して、二度とこういう間違いを犯さないって誓わんと、日本はまた同じ過ちを繰り返す。

戦争に限らず、国民にツケを回す政治手法を変える為にも、何がどうダメだったのか、政治家はあの戦争をちゃんと検証して、総括して欲しいもんですな。

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餓死(うえじに)した英霊たち


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