◆ 浄土宗、教科書に異例の反論


師弟関係に「不適切」とか言うから、「不適切」って言われると、クリントンのアレを思い出して、えらい気になったんやけど…

文部科学省によると、平成26年度に使われている高校倫理の教科書は6社7冊。このうち6冊は、親鸞が師匠である法然の教えを「徹底」または「発展」させたと解説している。

こうした表現に対し、浄土宗の一部僧侶らが「法然は不徹底で教えが未完成と受け取れる」と批判。「高校生に先入観を植え付け、将来の信仰にも影響を与えかねない」として、宗派に対応を求めていた。


そういう事な。

まぁ、仮にクリントン系の「不適切」な関係があったとしても、教科書にゃ書けんか(笑)

ちゅうか、「徹底」がどうとか「発展」がとうとか言われてもよう分からんけど、結局、法然も親鸞も同じ事言うとるんやけどな。

法然は、「どんな悪人でも南無阿弥陀仏って唱えたら救われるんやで」って教えて、親鸞は、「南無阿弥陀仏って唱えられるって事は、もう既に信じてるって事やから、南無阿弥陀仏って言おうが言うまいがどっちでもええねん。とにかく信じる事が大事」って教えとるわけで、本質的な事は一緒やん。

法然は人の心は目に見えんから「形」で信心を表現させただけで、親鸞は「形」がなくても分かる人には分かるって言うとるだけ。

「発展」ってよりは、庶民に分かり易くする為に「補足」したって感じやな。

そもそも、親鸞も法然と違う事を言うてるつもりもなかったやろうし、むしろ法然の教えを広めたかった人なわけで、実際、浄土真宗ができたのは親鸞が死んでからやからな。

親鸞が死んでから、その孫弟子、曾孫弟子が、「うちが本家や」「いやうち元祖や」って言い出して、宗派が別れただけの事。

教えが元で別れたんやなくて、「御家騒動」で別れたんやから、浄土宗も浄土真宗も変わらんねん。

まぁ、「徹底」「発展」って言われると、「法然が下に見られる」って事で浄土宗側が怒る気持ちも分からんでもないけど、同じ「仏教徒」なんやから、どっちが上でも下でもええがな。

それこそ、「南無阿弥陀仏」って唱えとけよ(笑)

ちゅうか、世間はそんな細かい事気にしとらんで。

オイラの家は浄土宗らしいけど、何も知らんもん。

まぁ、関わってる人間からしたら大問題なんやろうけど、その教科書で学ぶ側にゃどうでもええ話やで。

ちゅうか、授業じゃ、この辺の話はスルーとちゃうか?

どっちが上とか下とかどころか、法然が浄土宗で親鸞が浄土真宗って事ぐらいしか教えんやろ。

こんな事より、むしろ「宗教」ちゅうか「哲学」っちゅうか、そういうもんを扱う事が学校でほとんどない事に怒った方がええんちゃう?

生きて行くのがしんどい時代なんやから、今こそそういうもんが必要なんやし、仏教界が声を上げるべきは、そういうところやと思うけどな。

何にしても、こんな事でいちいち目くじら立てんと、「葬式仏教」「観光仏教」になってる現状から、本来の人を救う仏教に戻る事を考えて欲しいもんです。


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