◆ 裁判員 1年後に突然心の負担
「心の負担」ってのは、やった事がないんでいまいちよう分からんけど…
1審判決から約17カ月後の24年3月、最高裁決定で裁判員裁判がやり直しになることを知り、衝撃を受けた。「まさか、という思い」。最高裁が支持した仙台高裁判決は「1審は審理が尽くされていない」などと指摘して1審判決を破棄、審理を地裁に差し戻していた。
「『こんなに議論しました』と言いたくても守秘義務があるから根拠を言えない。反論できないのが非常にストレス」と松尾さん。「プロの裁判官が審理をやり直すなら仕方ないと思えるかもしれないが、また裁判員を集めるのは私たちの議論がリセットされると感じた」との思いもある。
これは納得できんわな。
やりたくもないのに呼び出されて、素人なりに考えて出した結論が「審理が尽くされてない」とか言われるんやからなぁ。
「審理が尽くされてない」って取りようによっちゃ「素人は黙っとけ」に聞こえるっちゅうの。
ほんま、これじゃ何の為に行ったんか分からんようになる。
差し戻すなら「審理が尽くされてない」やなくて、どこがどういかんのかはっきり言うてもらわんとなぁ。
いくら日当が出るとはいえ、これじゃ時間の無駄やん。
「カネ返すから時間を返してくれ」って言いたくなるわな。
何にしても、裁判員に刑罰まで考えさせるから、こういう事が起こるわけで、アメリカみたいに有罪か無罪かの判断だけにさせるべきですな。
「これだけの事をやったんやから、これぐらいの罰やろ」って裁判員が思っても、「前例」がどうとか言われたら考えるのがアホらしくなる。
今の制度のまま続けるなら、裁判員の判決を最大限に尊重するべきやし、高裁でこうも簡単に覆すならとっととやめる事ですな。
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