◆ B29の迎撃機 研究していた

原爆の「研究」もしとったんやから、できるかどうかは別にして「研究」ぐらいはするやろうけど…

太平洋戦争の戦局が悪化した1943(昭和18)年、軍用機生産の中心地となっていた名古屋市に国が設立した航空機に関する研究所の概要が、複数の資料や取材で分かった。米戦略爆撃機B29の迎撃機や、物資不足を補うための木製機などの研究を行っていた。

B29の迎撃機よりも、問題は木製機の研究ですな。

研究員だった篠原卯吉名古屋帝国大学教授(後の名古屋大学長)は、名航研が戦後改組された「名古屋産業科学研究所」(同市)の資料に「『木製機の迅速接着加工』などの研究をさせられた」と書き残していた。不足していたジュラルミンに代わる材料による機体製造を研究していたとみられる。

「研究させられた」って書き残してたように、研究する側も無駄な事って分かってる、そんな状況にも関わらず、戦争を続けようとしてたってのが最大の問題ですな。

この時点で詰みやん。

B29の迎撃機やら木製機の研究を進めるよりも、どうやって戦争を終わらせるかを考える以外にないのに、こんな事をやってた。

対外的な謝罪より、政府として何がどう間違ってたんがしっかり検証して、二度とそんな事が起こらんようにどうするか、それを国民に説明するべきやろ。

「反省と謝罪」って対外的には言うとるけど、肝心な日本国民に向けては何もない。

学校でも『酷い事をした。「ごめんなさい」って言いましょう』ばっかり教えてるからおかしな事になってる。

あれから70年。
先の大戦をほんまに「反省」するなら、何でああなったのかしっかり検証して、どうすりゃ止められたのか、今後そんな事が起きたらどうすりゃええんか、それを考える為のもんを日本政府として出して欲しいもんですな。

対外的なもんよりも、日本人としての「答え」を探す事が、再発防止の為の「教育」ってもんやん。

「謝罪と賠償」なんか何ぼやっても、「償い」はできても、再発防止にゃ何の役にも立たん。

役人が間違いを認める事ができんのやろうけど、日本人としてこの「答え」をしっかり持たんから、いつまでも言われ続けるねん。

そういう事を終わらせる為にも、しっかり検証して、何が悪かったのか、どうすりゃ良かったのか、ちゃんと日本政府の見解ってもんを発表して欲しいもんですな。




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