◆ 「日本最後の空襲」の悲劇

小田原空襲なんか初めて聞いたわ。

それも…

1945年8月13日、アメリカ軍は、爆弾の跡が残る寺院に隣接する新玉国民学校を空襲、3人の教職員が亡くなった。

蓮上院の浜武快晃住職(75)は「ずしーんと音がして、どのくらいだかわかりませんが、そのあとしーんとなっちゃった。そのうちに、こっちの方で、下敷きになったんでしょうか。『助けてくれ!』って、声が聞こえた」と話した。

さらに、この空襲から2日後。

1945年8月15日、終戦を告げる玉音放送が流れる半日前、小田原市を悲劇が襲った。

戦時下の小田原地方を記録する会の飯田耀子代表は「はじめ見た瞬間、なんか花火みたいな。花火が散った跡みたいと思ったんですが、そしたら、母が『空襲だよ』と」と話した。

8月15日未明、アメリカ軍のB29爆撃機1機が襲来した。

小田原市浜町周辺に焼夷(しょうい)弾を投下し、およそ400軒が焼失、12人が死亡した。


こんな「終戦」の直前に。

相原俊夫さんは「あと1日、あるいは、あと半日でもいいんですね、放送が早く、玉音放送がされて、戦争が終わっていたらね、わたしの家も焼かれずに済んだろうし、火の海の中を逃げ惑わなくても済んだのにと思うとね。まあ、これはあとで知ったことですけどね、まあ本当に、それが一番悔しかったですね」と話した。

まぁ、アメリカの「原爆実験」ってのと、ソ連の牽制ってのがあったから、最後の方は日本の都合でやめられへんかったんやけど、本来は…

ミッドウェー海戦

ここでやめるべきやってんな。

ここから泥沼の負け戦。

ほんま、知れば知るほど、この国の上層部に腹が立つ。

結局は、未だに続く日本の「無責任体制」が最大の原因やねん。

役人は責任取らんでええから、好き勝手言う。

政治は役人が決めた政策を追認するだけ。

だから、ちゃんとした「リーダー」が育たんねん。

民主党は嫌いやけど、民主党の目指した「政治主導」ってのは間違いやなかってんな。

このシステムを変えん限り、日本はまた同じ事をする。

何にしても、政治家は、謝罪だの賠償だのを考える前に、何で止められんかったんか、どこに間違いがあったんか、あの戦争をしっかり検証して、今に役立てるべき。

二度と同じ過ちを繰り返さん為に、「戦争の悲惨さ」ばっかり見てんと、どうすれば良かったのかって事を真剣に考えて欲しいもんですな。




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日本はなぜ戦争をやめられなかったのか―中心軸なき国家の矛盾


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