◆ 13歳で26キロ 飢餓救った里親
こういう子がおるのに「子供は親と暮らすのが幸せ」って価値観から卒業できんのやからなぁ。
「給食だけ」13歳、26キロ飢餓寸前 母親に手首切られ…里親と出会い「居場所」
「給食だけで生き延びた」
愛は九州北部で生まれ育った。幼いころから母と、母の交際相手の男、兄2人の5人でアパート暮らし。
男はいつも子どもたちに暴力を振るい、一番の標的が愛だった。気にくわないことがあると馬乗りになって殴られ、木刀や椅子でたたかれた。
この後遺症で愛は今も、怒鳴り声や大きな物音を聞くと過呼吸を起こすことがある。
家で満足にご飯を食べた記憶はなく「給食だけで生き延びた」。空腹を満たすため万引を繰り返し、小学生のころから警察に何度も補導された。
愛の左手首に3センチほどの傷がある。母に裁ちばさみで切られたときの傷だ。
2010年6月。きっかけはたわいもない口論だった。突然、興奮した母ははさみで愛の髪を切り刻んだ後、左手首を切った。さらに頸(けい)動脈にはさみを当て、「あんた、ここ切ったら死ぬんばい」とすごんだ。
下の兄が母からはさみを取り上げ、「逃げろ」と怒鳴った。愛は夢中で外に飛び出し、血だらけで夜の住宅街をさまよい歩いた。
コンビニの明かりが見えたので飛び込み、店員に助けを求めた。何時間も逃げたつもりだったが、家から歩いて数分の距離だった。
愛は児童相談所に保護され、山本夫妻の元に。母は愛への殺人未遂容疑で逮捕された、と聞いた。
「あのとき兄が助けてくれなければ、私は死んでいた」。今もうっすらと残る左手首の傷痕を見つめ、愛はつぶやく。
ムチャクチャやな。
こんだけムチャクチャしてても…
母は逮捕後、執行猶予付きの有罪判決を受けた。愛との接見を禁止されていたが、クリスマスや誕生日には手紙や贈り物を届けた。高2の秋、母から電話がかかってきた。
「保護観察が終わったけ、一緒に住もう。帰ってきて」
「一緒に住みたい」とか言うんやな。
これだけ虐待してるのに、何でここまで子供に固執するんか、それが分からんわ。
「いらん子」やから「虐待」するんとちゃうん?
虐める相手がおらんから、手持ちぶさたで、「帰ってきてくれ」って事なんやろか?
よう親が児相から子供を無理矢理取り戻すってな事があるけど、この辺の心理がどうなってるんか、ほんま分からん。
お母さんは変わったのかも。もうひどいことはしないはず…。違う。交際相手の男が自分を働かせようと思ってるんじゃないか。ここを出てしまえば、もう戻れないんじゃないか…。
母を信じたい気持ちと不安で心が揺れた。決心させたのは直子の一言だった。
「お母さんのところに帰ってもいいんよ。それで無理やったら、戻っといで」。私には戻れる場所がある、ここにいる大人は信用できる。ここが自分の居場所だ−。そう、初めて感じる自分がいた。
結局、母の元へは戻らなかった。直子によると、この頃から愛の状態は目に見えて落ち着いたという。
そらそうやろな。
何か色々と泣ける話やけど、こういう子がこの日本には結構な数おるわけで、「子供は親と暮らすのが幸せ」っちゅう価値観から卒業して、「子供の幸せ」とか「子供の命」ってのを第一義に考えて、こういうケースでは親と簡単に引き離せるような法律を整備してあげて欲しいもんです。
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