◆ 長野・御柱祭 転落の男性死亡
これは、「事故」やけど…
5日午後4時半ごろ、6年(数えで7年)に1度の奇祭、御柱(おんばしら)祭が開かれている長野県・諏訪大社上社本宮(同県諏訪市)の境内で、高さ約15メートルの大木の最上部から氏子の自営業、日下部幸寛さん(41)=同市豊田=が転落した。日下部さんは市内の病院に搬送されたが、全身を強く打ち、約5時間半後に死亡した。県警が事故の状況を調べている。
そもそも、この御柱祭の「柱」は元々、木の柱やなくて「人柱」でやってたって話やからねぇ。
要するに「生贄」が必要な祭なわけで、人が死んで初めて成立する。
現代人の感覚じゃ、「毎回死人が出てる危険な祭」やけど、毎回死のうが何人死のうがやめられへんやろな。
何せ、ルーツは縄文時代って事やし。
現代人の感覚じゃ理解できんけど、地震大国の地震(神様の怒り)を抑える為の祭やから、どうしても「人身御供」が必要なわけで、現代人がいくら安全に配慮しても、神様が欲するんやろな。
個人的にはさっぱり理解できんけど…
要するに、これは「理屈」やないねんな。
むしろ、誰かが死なん事には「安心」できんのやろ。
現代人にそんな感覚があるとは思えんのやけど、少なくとも縄文人はそう思ってたわけで、それが今でも続いてるんやから、諏訪の人には多少なりともその「感覚」が伝わってるんかもしれんな。
誰かが死なんと、「今年は大地震が来る」とか思ったり、「何か不吉な事が…」って思ってみたり…
個人的には、「この21世紀ねぇ」と思うけど、外野がとやかく言う話でもないしな。
やってる人間は、分かってやってるんやし、これはもう死人が出る事を許容するしかない気がするわ。
現代人の価値観じゃあり得ん祭なんで、「毎回死人が出るんやからやめりゃええやん」と思うけど、「縄文時代から続く伝統を途絶えさせて良いのか」って言われるとよう反論せんし、地元の人間が納得してるんやったら、法的にはどうかとは思うけど、そこはもう「法」の及ばん治外法権的な「殺人祭」として理解する事にします。
科学的には「無意味」な事やけど、それで「安心」するなら、それはもうどうしようもない。
それが、「宗教」とか「信仰」ってもんやからな。
ちゅうか「民俗伝承」を現代人の価値観で理解しようとする事に無理がある。
なので、無理矢理やらされてるなら問題やけど、自発的にやってるなら、外野は「こういうもの」として理解した方が良さそうです。
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諏訪の神: 封印された縄文の血祭り
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