◆ 奈良時代 ペルシャ人役人存在

奈良時代は外人でも国家公務員になれたんか(笑)

奈良市の平城宮跡から出土した8世紀中頃の木簡に、ペルシャ(現代のイラン付近)を意味する「破斯(はし)」という名字を持つ役人の名前が書かれていたことが、奈良文化財研究所の調査でわかった。

国内でペルシャ人の名前を記した出土遺物が確認されたのは初めてで、奈良時代の日本の国際性を裏付ける成果となる。


資料が見つかったのは貴重やけど…

シルクロード

日本には、奈良の正倉院に中国製やペルシア製の宝物が数多く残っており、天平時代に遣唐使に随行してペルシア人の李密翳(り・みつえい)が日本に来朝したことに関する記録なども残されている。

正倉院がシルクロードの東端になってたし、ペルシャ人もそれなりに来てたし…

菩提僊那

751年(天平勝宝3年)僧正に任じられ、翌752年(天平勝宝4年)4月9日には東大寺盧舎那仏像の開眼供養の導師をつとめている。

奈良の大仏の開眼式を仕切ってたのがインド人なんやし、外人の役人がおるのも珍しくなかったやろな。

歴史ミステリー 聖徳太子もペルシャ人だった?

こんな話もあるし(笑)

何にしても、これ自体はロマンのある話やけど、ここから「これを見習って外国人労働者を受け入れよう」ってな話に展開するのだけはやめて欲しいもんです。




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天平のペルシア人


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