◆ 消えゆく「鎖国」「士農工商」
今年の5月に…
「士農工商」が教科書から消えてるらしい
ってのを取り上げたから「士農工商」が消えてるってのは知ってたけど…
「鎖国」という言葉が最新の学習指導要領(高校日本史B)から消えた。島国・日本の閉鎖性を象徴する政策、というイメージもついてまわる鎖国だが、最新の歴史教科書の動向では、むしろ消えつつある古い言葉になってしまった。理由は明快で、歴史学の研究が進んだからだ。明らかになった史料によって、実証された事実によって、歴史教科書は変わっていく。
「鎖国」もかい。
「士農工商=身分制度」って捉えると「(身分制度は)なかった」でええんやけど(それなりに制限はあったけど)、「鎖国はなかった」って言われるとねぇ。
「鎖国」が消える理由
「ここまで変わった〜」によると、中学の歴史教科書を含め、江戸時代は鎖国ではなく、4つのルートをつかって海外に開いていたという考え方をとる教科書が多い。
つまり、長崎口を通じてオランダ・中国と、対馬口をつかって朝鮮と、薩摩口をつかって琉球と、松前口をつかってアイヌとも交流があったという事実を重視している。
興味深いのは、琉球を通じて東南アジアや中国と、蝦夷地(いまの北海道)を通じてロシアなどとも交流があったことに触れる教科書もある点だ。江戸時代も決して閉ざされていたわけではなく、限定されていたとはいえ、日本は開かれていたともみえる。
「限定されていたとはいえ、日本は開かれていたともみえる」って、あんた…(笑)
それを「鎖国(政策)」って言うんちゃうんかい(笑)
鎖国と同時に「出島」も習うわけで、江戸幕府が人と物の流れを管理、統制してたのを「鎖国」って言うわけで、今までも「完全に閉ざされていた」とは教えとらんがな。
だいたい、「鎖国はなかった」って事にしたら、ペリーは何してに来てん(笑)
ペリーは「自由貿易」を求めて「開国」を迫ったんとちゃうんかい。
珍説、新発見を言えば名前が売れると思ってるんか何か知らんけど、歴史学者の思惑で歴史教科書を書き換えるなっちゅうの。
ちゅうか、「鎖国はなかった」って言う前に「鎖国」の定義をちゃんとしろっちゅうの。
こんな重箱の隅をつつくような事で教科書書き換えて、何が楽しいねん。
実質、何も変わっとらんのに、「鎖国」を消したら、親子間で面倒臭い事になるがな。
イギリス、フランス、スペインとかとも貿易があって、人の往来も自由やったんなら、「鎖国はなかった」でええけど、そうやないんやから「鎖国」でええねん。
ちゅうか、こんな重箱の隅をつつく話やなくて、キリスト教の奴隷貿易の話を教科書に載せろっちゅうの。
「バテレン追放令」からの「キリシタン弾圧」って流れで秀吉を悪く書きよるけど、バテレンを追放するには追放する理由があってん。
そういう事は教えんのに、「鎖国はなかった」って、ほんましょうもない事やっとるわ。
何にしても、歴史教科書を書き換えるなら、歴史学者の都合やなくて、「新事実」のみで書き換えるようにして欲しいもんです。
それと、換えたら換えたでニュースで大々的に報道するように。
そうやないと換わった事を知らんと過ごす事になる。
知らんと恥ずかしい思いをする事もあると思うんで、そこんとこはしっかり知らせるようにして下さいって事で。
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