アメリカンフットボールの日本大と関西学院大の定期戦(6日、東京)で、日大の守備選手が関学大の選手に悪質なタックルをして負傷させた問題で、被害選手側が大阪府警に被害届を出したことが21日、分かった。
被害選手とその父親は兵庫県西宮市内で19日に日大の内田正人監督らから謝罪を受けた。しかし父親は「日大選手がどうしてあのようなプレーをしたのかの説明がなかったし、指示があったかも(監督が)話されなかったので釈然としない」と遺憾の意を示していた。
一方、日大の内田監督は19日の謝罪後に大阪(伊丹)空港などで取材に応じ、「全て私の責任です」と監督を辞任することを明かした。反則行為を促す指示の有無など経緯や再発防止策は24日をめどに関学大に提出する再回答書にまとめるとしている。
反則行為があったのは、両校の51回目の定期戦。パスを投げ終えて無防備な関学大の選手に対し、日大の守備選手が背後から激しくタックルした。関学大の選手は全治3週間のけが。日大の選手はさらに複数回の反則行為を続けて退場になった。一連のプレーに対して関学大は抗議文を送付し、記者会見を開いて日大に誠意ある回答を求めていた。また反則行為の動画がSNSなどで拡散され、スポーツ庁長官が問題視するコメントを出した。
第六十二条 正犯を幇助した者は、従犯とする。
2 従犯を教唆した者には、従犯の刑を科する。
関係者や日大選手からも、監督からの指示があったとの証言が報道されている。羽田空港でも取材に応じた内田監督は「正直言って、いろいろな憶測やSNSの拡散(に対して)、私どもも対応しきれない。僕としても心外というのが正直な気持ちです」と、不快感とも取れる反応を示した。
会見冒頭、代理人は「顔を出さない謝罪はないと会見を決意した」と説明。「反則行為の指示があったことを明らかにするのが会見の趣旨」だとした。
宮川選手は、試合前の3日前からの経緯を説明。今月3日の実戦練習でのプレーが悪かったと、監督、コーチからメンバーから外されたといい、同4日には、内田前監督から「日本代表に行っちゃダメ」と大学世界選手権大会の辞退を指示されたとし、監督に理由を聞くことができなかったとした。
同5日、コーチを通じて内田正人前監督から「相手のクオーターバックを1プレー目でつぶせば(試合に)出してやる」と指示を受けたと説明。「ここでやらなければ後がない」と思い、悪質なタックルをする意思を伝えたことに対し、試合直前にも内田前監督から「『やらなきゃ意味ないよ』と話した」と語り、コーチからも「できませんでしたじゃすまされない」と言われたと説明した。
今回のプレーに至ってしまったことについて、宮川選手は「監督、コーチの指示があったとはいえ僕がやったことは変わらない。とても反省しています。プレーに及ぶ前に自分で正常な判断をするべきだった」と反省の弁。内田前監督との関係について「日本代表に行くなと言われても『なぜですか?』と理由を聞ける関係ではなかった」と話した。
日本中に物議を醸した反則プレー。内田監督の指示の有無が最大の焦点になっていた。日大広報部は内田監督が学内の調査に「違反しろとは言っていない」と述べたと発表。また、15日付の関学大への回答書には「指導と選手の受け取り方に乖離(かいり)が起きたことが問題の本質」としていた。内田監督は19日に関学大を訪れ謝罪したが、指示については明言を避けていた。
この日、宮川選手は「指示はしていない」とする内田監督に真っ向から反論。首脳陣の指示に基づいて反則したことを主張した。
日大アメフト部で学生に関西学院大学のQBを潰すように指示したゴミコーチ・井上奨様のご尊顔。学生時代にはホモビデオへの出演歴有り。 pic.twitter.com/92kxpcvnbY
— 暇な大学職員 (@univadm) 2018年5月22日
あの日、私は試合会場にいた。関学オフェンスの最初のプレー。テレビなどで繰り返し流れているシーンだ。私は関学クオーターバック(QB)が投げたボールをカメラで追っていたため、日大の守備選手の反則は見ていなかった。二つ目の反則もボールと関係のない場所だったので見ていない。ただ、立て続けに最も重い15ヤード罰退(陣地の後退)の反則をした選手をベンチに下げないのは変だなと感じていた。そして三つ目。これもボールから離れたところで関学の選手に小競り合いを仕掛け、ヘルメットを殴った。5プレーで三つもの反則。私には、彼が何かにとりつかれているかのように見えた。
彼はここで資格没収(退場)の処分を受けた。去年の甲子園ボウルでの彼の活躍をはっきり覚えていたので、いったい何が起こったのかと感じた。フィールドから出てきた彼はスタッフに促され、ベンチ奥にあった負傷者用のテントに入った。私はそこに近づいた。
彼は泣いていた。声を上げて泣いていた。同じポジションの選手が肩に手を置いて、言葉をかけていた。関学側に回って、テントの入り口からのぞく彼の背中を撮った。
そして「アメフトを続けるのが苦痛。自分にアメフトを続ける権利はない。やるつもりもない」と競技から引退することを明言した。