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綾瀬女子高生コンクリート詰め殺人事件の「元少年」湊伸治が殺人未遂で逮捕される 警棒で殴り刃物で首を切りつける

殺人・殺人未遂・通り魔
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あんな残虐な事件を起こせる奴が更生なんかするわけないねんな。

今すぐ、少年法の撤廃と、更生を前提とした懲役制度を見直して欲しいもんです。

綾瀬女子高生コンクリート詰め殺人の“元少年”が、今度は殺人未遂で逮捕されていた!

綾瀬女子高生コンクリート詰め殺人の“元少年”が、今度は殺人未遂で逮捕されていた!(デイリー新潮) - Yahoo!ニュース
8月19日、埼玉県川口市の路上で、32歳の男性の肩を警棒で殴った上、首をナイフで刺し - Yahoo!ニュース(デイリー新潮)
8月19日、埼玉県川口市の路上で、32歳の男性の肩を警棒で殴った上、首をナイフで刺したとして45歳の男が殺人未遂の疑いで緊急逮捕された。逮捕された男は川口市の無職、湊伸治――。

「18時5分に被害者の男性から『警棒で殴られ、刃物で首を切りつけられた』との110番通報があり臨場しました。男性は首の後ろから流血がありましたが、幸いなことに命に別状はありませんでした。湊はその場におりませんでしたが、駐車トラブルの原因となった車輌は残っていた。ナンバーから自宅を割り出し自宅に行くと、犯行を認めたため、19時50分に緊急逮捕しました。湊は『刺したことは間違いないが、殺すつもりはなかった』と言っています」(捜査関係者)

警棒は3段の伸縮式で全長41センチ。実際に警察が使用しているものとは少し異なり、いわゆる護身用として販売されているものだという。刃物のほうは折りたたみ式で、刃渡りは8センチ、広げたときの全長は19センチになるという。

殺人未遂罪の法定刑は、死刑または無期懲役、もしくは5年以上の懲役である。しかし、死刑や無期懲役になることはめったになく、多くは懲役3年前後からおよそ7年程度とされる。

ちなみに正当な理由なく、刃渡り6センチを超える刃物を携帯すれば、銃刀法違反で2年以下の懲役、または30万円以下の罰金となる。

「ええ、そちらも視野に入れています」(前出・捜査関係者)

捜査関係者は、いつにも増して徹底して罪に問おうとしているかのようだ。

野獣に人権はない

「湊伸治」という名を聞いてピンとくる人は、多くはないだろう。しかし、すでに一部のネット民の間では話題の男なのだ。

今から30年近く前になる。彼こそ1989年、日本中を震撼させた、綾瀬「女子高生コンクリート詰め殺人事件」の4人の犯行グループの1人なのだ。

「当時16~18歳の少年が、見ず知らずの17歳の女子高生を拉致し、40日間に亘り監禁した上、なぶり殺し、遺体をドラム缶に入れてコンクリートで固め、江東区の埋め立て地に遺棄した――鬼畜としか思えぬ犯行でした。しかも彼らが監禁に及んだ部屋は、少年の両親が同居する実家の2階の自室。その少年こそ、湊伸治(当時16歳)です。両親は共産党系の診療所に勤務し、父は診療所の経営する薬局の薬剤師、母は看護士でした。2人とも共産党員だったため、警察への対応も筋金入りでした。家宅捜索も弁護士立ち会いの下で認めるという具合で、そのために捜査が遅れたと言われたほどでした」(社会部記者)

湊には懲役4年以上6年以下の不定期刑が下された。

映像ニュースはコチラ

https://headlines.yahoo.co.jp/videonews/jnn?a=20180820-00000012-jnn-soci

この事件を報道してるのってTBSだけなんやな。

コイツらのバックにゃ共産党が控えてて、当時も共産党お抱えの弁護士が捜査妨害してたって話やし、色々と面倒臭いから手を付けんかったんやろか?

で、その「綾瀬女子高生コンクリート詰め殺人事件」なんやけど…

綾瀬女子高生コンクリート詰め殺人事件

女子高生コンクリート詰め殺人事件 - Wikipedia

被害者の古田順子さん

犯人の宮野裕史、小倉譲、湊伸治

事件の経緯

以下、基本的に判決が認定してきた事実に基づき記載する(出典元の判例については#判決文参照)。

拉致・監禁と強姦・暴行

1988年11月25日夕方、AはCとともに通行人からひったくりをするか、若い女性を狙って強姦しようとして、それぞれ原付バイクに乗って埼玉県三郷市内を徘徊していた。その中で自転車でアルバイト先から帰宅途中の女子高生(当時17歳、埼玉県立八潮南高等学校3年生)を見つけ、CはAから「あの女を蹴飛ばしてこい」と指示を受けたため、女子高生もろとも自転車を蹴倒して側溝に転倒させた。Cがその場を離れた後、Aは何食わぬ顔で少女に近づいて言葉巧みに「今、蹴飛ばしたの(C)は気違いだ。俺もさっきナイフで脅かされた。危ないから送ってやる」などと申し向けて少女を信用させて近くの倉庫内へ連れ込み、一転して「自分はさっきのやつの仲間で、お前を狙っているヤクザだ。俺は幹部だから俺の言うことを聞けば命だけは助けてやる。セックスをさせろ」「声を上げたら殺すぞ」などと少女を脅迫して関係を迫り、同日午後9時50分ころ、タクシーで少女をホテルへ連れ込み強姦した。

Aは同日午後11時頃、ホテルからかねて自分たちのたまり場になっていたCの家へ電話し、Bに「狙っていた女を捕まえてセックスした」などと話したが、BがAに対し「女を帰さないでください」などと言ったことからBと待ち合わせることとした。AはB・Aとはぐれて帰宅していたC・BのところにいたDの3人が、連れ立って約束の待合わせ場所へ赴き、少女を連れたA・B両名と合流した。AはBらに対し「(少女を)ヤクザの話で脅かしているから、話を合わせろ」などと言い含め、4人は少女を連れて翌26日午前零時半頃公園に移動した。そこでAはジュースを買いに行くという名目で、C・D及び少女のいる所からやや離れた自動販売機の置かれた場所付近にBと共に行き、Bに「あの女どうする」と尋ねると「さらっちゃいましょうよ」などと返されたことから少女を猥褻目的で略取、監禁することとした。

4人は少女を拉致しつつ、その公園からCの自宅近くの別の公園に移動する間、CはA・B両名らの意を受けて少女を自室に監禁することを了承、Dもそれまでの成り行きからAらの意図を了解し、4人は少女を猥褻目的で略取、監禁することについて共謀した。Aが少女に対し「お前はヤクザに狙われている。仲間がお前の家の前をうろうろしているから匿ってやる」などと嘘を申し向けて脅迫し、4人で少女をCの自宅の2階の部屋(6畳)へ拉致し、同日からこの日から少女を殺害するまでの間監禁した。

少女をCの自室に連れ込んだ後、4人は少女を交替で監視することとしたが、同月28日頃の深夜、4人に加えて不良仲間の2人の少年(E・F)がCの居室にたむろしていた。その際、Aは仲間たちに少女を輪姦させようと企て、Bら3人や、E・Fらと共に代わる代わる覚醒剤を飲んで半狂乱になったように装って少女に襲いかかり、必死に抵抗する少女の口や手足を押さえ付けて馬乗りになるなどの暴行を加え、少女の着衣をはぎ取り、AがBら3人やE・Fにも裸になれと命じ、これを受けてA・B両名以外の4人は着衣を脱ぎ捨て、E・F・Dの順に少女を強姦した。その際、Aは剃刀を持ち出して少女の陰毛を剃り、更にその陰部にマッチの軸木を挿入して火をつけるなどの凌辱に及び、少女が熱がるのを見て仲間らで面白がるなどした。

少女は当初、逃げ出そうとしたり、隙を見て自宅に電話しようとしたが、激しい暴行に加え、少年らがヤクザ言葉を使っているのに怯えて抵抗を諦めた。また、最初に監禁された際にはAが仲間たちの前で「しばらくしたら帰してやる」と話していたため、その言葉を信じた可能性もある。

同年12月上旬頃、少女が逃走しようとした上に警察への通報を図ったことに腹を立て、A・B・Cの3人が少女の顔面を拳で多数回にわたって殴り、Aが少女の足首にライターの火を押し付けて火傷を負わせるなどした。Aらはその後も、時に別の不良仲間を加えるなどして、少女を全裸にしてディスコの曲に合わせて裸踊りさせたり、自慰行為を強要したり、少女の顔にマジックペンで髭を描いて興じたり、少女の陰部に鉄筋を挿入して何回も出し入れしたり、肛門にガラス瓶を挿入するなどの異物挿入をしたり、少女にシンナーを吸引させてウイスキー、焼酎などの酒を一気飲みするよう強要し、寒気の厳しい夜中、少女を半裸でベランダに出して牛乳や水などを多量に飲ませ、たばこを2本一度にくわえさせて吸わせるなど度重なる暴行、凌辱を繰り返した。同月中旬から下旬頃、Aは少女が失禁した尿を踏んだということを口実に、BやCが少女の顔などを拳で何度も殴りつけ、少女の顔面が腫れ上がり変形したのを見て「でけえ顔になった」などと言って笑った。その暴行の場にはAはいなかったが、翌日Cが「あんまり面白いからAにも見てもらおう」などと言い、自慢気にAに少女の顔を見せた。Aはその変わりように驚いたものの、これに触発されたように自らも少女を多数回殴打し、少女の太もも、手などに揮発性の油を注ぎライターで点火し、火が消えると更に同じような行為を繰り返して火傷を負わせた。この頃、少女は度重なる暴行に耐えかねて「もう殺して」などと哀願することもあった。Aらは同月中旬頃から、主にCの兄Gに少女の監視役をさせるようになったが、その頃から少女は少量の食物しか与えられず、年末頃には牛乳をわずかに与えられる程度になり、栄養失調とAらの度重なる暴行により心身ともに極度の衰弱状態に陥り、食欲は減退して顔面は腫れ上がり、手足などの火傷は膿みただれて異臭を放つなどし、階下のトイレへ行くことも困難で、終日監禁場所であるCの部屋で横たわっていた。

殺害・死体遺棄

1989年(昭和64年)1月4日、Aは前日夜から早朝にかけて行った賭け麻雀に大敗した後、Dの家に赴いたところ、B・C両名らがDと共に居合わせていた。4人はそこでファミコンなどで遊んだが、麻雀に負けた鬱憤を少女へのいじめによって晴らそうと考えたAは「久し振りに、少女をいじめに行くか」などと言い出し、まずCとDを先にC宅へ行かせ、若干遅れてBと共に自らもC宅へ赴いた。このように4人は相前後して監禁場所のC宅に集まったが、少女はAらの暴行などにより、前述のように顔が変形するほどに腫れ上がり、手足などの一部は焼け爛れて化膿し、栄養失調に陥り、極度の衰弱状態で横たわっていた。

A・B・Cの3人は午前8時頃からCの部屋において、少女にBのようかんを与えて「これは何だ」と問い、少女が「Bようかん」と答えると「なんでBを呼び捨てにするんだ」などと因縁をつけて再び同様の質問をし、「Bようかんさん」と答えると「なんでようかんにさんをつけるんだ」などと詰め寄って少女へのリンチを開始した。3人で少女の顔などを多数回拳で殴り、背を足で蹴るなどの暴行を加え、AとBが蝋燭(Aがいじめの小道具に買い求めていた)に点火して少女の顔面に溶けた蝋を垂らして顔一面を蝋で覆い尽くし、両瞼に火のついたままの短くなった蝋燭を立てるなどして面白がったが、これに対して少女はほとんど反応を示さず、されるがままになっていた。その暴行が始まった直後、DはGと共に隣室にいたが、この頃Aの指示を受けたCに呼ばれて、部屋へ入りAら3人と合流した。Aは、衰弱して自力で階下のトイレへ行くこともできない少女が飲料パックに排泄した尿についてわざと「やばいよ、そんなものを飲んじゃあ」などと言い、BやCらに対し、暗に少女にその尿を飲ませるよう示唆した。これを受けてBやCらは、少女に「(尿を)飲め」と強く言い、パック内の尿をストローで飲ませた。次いでBとCが少女の顔面を回し蹴りし、少女が倒れると無理やり引き起こして、さらに蹴りつけるなどしたところ、少女は何ら身を守ろうとせず、不意に転倒して室内のステレオにぶつかり痙攣を起こすなどした。Aらは遅くともこの頃までには、このまま暴行を加え続ければ少女が死亡するかも知れないことを認識したが、その後もその危険を認識しながら、BとCが転倒した少女に殴る蹴るなどの暴行を加えたのを始めとして、更に少女に対して後述のような激しい暴行を加え続け、そのために少女は鼻血を出し、崩れた火傷の傷から血膿が出て血が室内に飛び散るなど凄惨な状況となった。

Dは、素手では血で手が汚れると考え、ビニール袋で拳を覆い、ガムテープでこれを留めた上、拳で少女の腹部や肩などを力任せに数十回殴りつけ、Aらもこれに倣って拳をビニール袋で包み、次々に少女の顔、腹部、太ももなどを拳で殴りつけて足蹴りするなどし、更に、Aが鉄球を含む総重量約1.74kgのキックボクシング練習器の鉄製脚部を持ち出し、その鉄球部分でゴルフスイングの要領で少女の太もも等を力任せに多数回にわたり殴りつけ、Bらもこれに倣って代わる代わる少女の太ももなどをその鉄球で数十回殴打し、Dは肩の高さから鉄球を少女の腹部めがけて2、3回落下させた。Aは繰り返し揮発性油を少女の太ももなどに注ぎ、ライターで火を点けるなどしたが、少女は最初は手で火を消そうとする仕草をしたものの、やがてほとんど反応を示すこともなくなり、ぐったりとして横たわったままになった。

これらの一連の暴行を当日の午前8時頃から10時頃まで、約2時間にわたって休みなく続けた結果、少女は重篤な傷害により、同日午後10時ころまでの間に死亡した。

A・B・Cは翌5日、自分たちが出入りしていた暴力団関係者の経営する花屋にいた際、Gから「少女の様子がおかしい」と電話で連絡を受けてCの居室へ赴き、少女が死亡したことを知ったが、犯行の発覚を恐れて同日午後6時頃、Gと共謀して、少女の遺体を遺棄しようと企てた。遺体を毛布で包み、大型の旅行かばんに入れてガムテープを巻きつけ、Aがかつての仕事先からトラックを借り出したり、セメントを貰い受けて近くの建材店から砂やブロックを盗み出し、トラックで遺体と、付近で取ってきたごみ入れ用のドラム缶をC宅前に運び、そこでコンクリートを練り上げて遺体の入ったかばんをドラム缶に入れ、コンクリートをドラム缶に流し込み、更にブロックや煉瓦を入れて固定し、ドラム缶に黒色ビニール製ごみ袋を被せてガムテープで密閉した。その後A・B・Cの3人が同日午後8時頃、トラックでドラム缶を運び、東京都江東区若洲の埋め立て地(現在の若洲海浜公園敷地内)に遺棄した。

少女を自宅に監禁していたCの父親は12月初め、Cの部屋で奇声が聞こえたので注意しようと2階に上がった。Cの父親は「うるさいぞ」と注意して部屋に入ろうとしたが中に入れてもらえず、その際に女性の声がしたため「女の子が遊びに来ている」と思ったという。12月末のある日には被害者少女とみられる女性が2階にいることを知ったため、両親は少女にドアの外から「食事をあげるから出てきなさい」と説得して1階のリビングに降りて来させ、一緒に和室で夕食を摂り、その際に「家に帰りなさい」と注意したという。夕食にはCと仲間の少年も同席していたが、少女はほとんど話をしなかったという。両親はその後「女の子が1人だけ一階に残った隙に『帰りなさい』と声を掛け、玄関から送り出した」が、Cが間もなく逃走を知って追いかけ、連れ戻していた。Cらが両親から注意を受けたのはこの1度きりで、少年らから常に激しい暴行を受けていたため、怯えきっていた少女はその後、逃げ出したり助けを求めるそぶりさえできなかったとみられる。

ここまで胸糞悪い事件もそうないわな。

これだけやっても、未成年って事で減刑されとるし。

で、主犯の宮野裕史は…

宮野裕史

振り込め詐欺で再犯。

サブリーダーの小倉譲は…

小倉譲

三郷市逮捕監禁致傷事件 - Wikipedia
三郷市逮捕監禁致傷事件(みさとし たいほかんきんちしょうじけん)は、女子高生コンクリート詰め殺人事件の準主犯格として懲役刑に処された男(本事件当時33歳)が、出所後の2004年(平成16年)5月19日、知人男性を暴行・監禁し負傷させた、逮捕監禁・傷害事件。

事件に至る経緯

犯人は、1989年(平成元年)に発覚した女子高生コンクリート詰め殺人事件で準主犯格(同記事中では「少年B」と表記)として懲役5年以上10年以下の不定期刑の判決(求刑・懲役13年)を受け、少年刑務所を含め、3つの刑務所で8年間にわたり服役したが、1999年8月に満期出所した。

同事件の刑事裁判で情状酌量の理由として挙げられた点は「罪の重大性を認識し、その責任の自覚を深めつつある」「深く反省し、成長の跡も相当にうかがえる」という点であり、服役中には更生のための教育も受けていた。一方で、服役中の男には、拘禁反応による妄想が現れていたが、刑務所では適切な治療を受けていなかった。

女子高生コンクリート詰め殺人事件の刑事裁判で男の弁護人を担当した弁護士によれば、同事件で逮捕された直後、男は反省するそぶりもなかったが、大好きだった母親から幼少期に十分に受容されず罵られるなど、親子関係に問題があったことに理解を示すと、涙を流して反省の態度を見せたというしかし、出所後は家族と疎遠になり、仕事も長続きせず、暴力団にも入った。刑務所での服役中、男は簿記2級や情報処理関連の資格を取得したが、他の受刑者とのいさかいも絶えず、度々処分を受けたため、仮釈放は認められず、28歳になる1999年に満期出所した。

出所後、男はコンピューター関連の会社に就職して約1年間働いたが、突然退社した。当時を知る関係者曰く「(男は)『あんなひどいことをやったと(周囲が)僕をいじめる』と話していた」といい、その後は派遣会社に勤務し、プログラマーの仕事をしたが長続きせず、2002年頃からは定職に就かず、一時は暴力団に入っていた。

男は以前の事件で感情が不安定になっており、昼間でも「ギャー」とか、「ウー」などと叫ぶことがあった。

事件当時、男は埼玉県八潮市内に居住し、コンピューター会社にアルバイトとして勤務していたが、犯行前にも被害者に対し「俺は少年の時に10年懲役に行ってきた」「女を監禁していて、遊びから帰ってきたら、女が死んでたんだよ。それで、たばこに火をつけて、煙を鼻に近づけたら煙が揺れなかった。だから死んだってわかったんだよ」などと、笑いながら、コンクリート詰め事件への関与を伝えつつ、「俺は警察を騙したり、検事を丸め込んだりするノウハウや知識を学んだ。今度、何かあってもすぐに出て来られる」と話していた。

逮捕監禁、傷害事件で再犯。

で、今回の湊伸治が…

湊伸治

殺人未遂で再犯と。

もれなく全員再犯しとるねんな。

こんな残虐で凶悪な事ができる奴が更生なんかできるわけがないねん。

少年法も見直しもそうやけど、性善説で更生を前提につくられてる刑法も見直すべきですな。

何にしても、少年法が適用されて減刑されたんやから、今回は合わせ技で死刑にして欲しいもんです。

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