人は本能的に他者の人間性を否定する生き物らしい…今日この頃。
/(-_-)\ ウ~ン
自分(の意見)を守る為の一番簡単な方法が他者の人間性を否定する事やからなぁ。
人は本能的に他者の人間性を否定する(イタリア研究)
「議論」なんかするとよく分かるけど、良いか悪いかで議論してるのに、議論に行き詰まると途端に人間性を攻撃してくる。
「お前はこうだから…」とか「だからお前はダメなんだ」みたいに、議論に関係ないとこで他者の人間性を否定したり、人格攻撃をして、自分の意見が正しいって言おうとする。
「やたらあかん」とは頭では思ってても、ついついやってまうから、あんまり偉そうな事も言えんのやけど…
この要因が…
イタリア、パルマ大学の認知神経科学者、ヴィットレオ.ガレッセ氏は、他人を否定するという行為は、言語が生み出した最も悪い副産物の一つであると語る。
「言語」にあるってのは、どうかと思うけど、人が本能的に他者の人間性を否定するってとこは、個人的には正しいと思うし…
「我々がもし、自分を守る為に人を否定するならそれは間違っている。このような人間の本質の一部を無視するのではなく、理解しようとしなければならない。それを理解しようとすることで、相手に対して、これまでとは違う行動が生まれるのである。」
ってのは、おおむね賛同するけど、ちょっと違うと思う。
常々、ここでも、まずは「知る」事が大事って書いてるから、「理解する」ってのは重要な事やし、正しいと思う。
で、幅広い人がその知った事を「共有」する。
で、価値観を共有して、みんなで「考える」。
そしたら、方向性とか手法は違っても、何事も「良くなる」方向に進む。
ちゅうか、「話し合い」ってのは、価値観の共有がないとめちゃくちゃになる。
例えば、「殺人を防ぐにはどうしたら良いか」ってのを議論する時にしても、「厳罰化で抑止力を上げる」とか「殺人が発生する社会環境が悪いから、社会環境を良くする」とか、思想信条で意見も方向性も手法も変わってくるけど、「人殺しはあかん」って価値観を共有してるから議論が成り立つ。
ここに「何で人を殺したらあかんの?」っていう考えの持ち主が入ってくると、議論にならんから人間性を否定したり、排除の論理が働いたりするわけやけど…
この認知神経科学者のヴィットレオ・ガレッセ氏は、それはあかんって言うとるんやろ?
言わんとする事は、分からんでもないんやけど、根本的な、「人を殺す事が良い事か悪い事か」って事が理解できん人に、そこから説明してもしゃあないと思うねんけどなぁ。
まぁ、相手を理解しようとしたり、こっちの事を分かって貰おうとするのは、ええ事やし、そうするべきやとも思うけど、一定数どうしよもないのがおるの「事実」なわけで、そのどうしようもないのが絶滅する事もない。
それが「争いの種」って言われれば、もうどうしようもない。
何にしても、こういう極端な例は除いても、「人は本能的に他者の人間性を否定する生き物」って事は頭に入れておいた方が対処はしやすいと思います。
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