「人は死んだ瞬間必ず体重が減るので、魂が存在し、霊も存在します」っちゅう反論が何通か来た…今日この頃。
(=⌒ー⌒=)
この「霊が見える人は脳に異常があると思う」ってのの反論なんやけど、こういう「○○だから○○だ」っちゅう意見は大歓迎やな。
話もそこから広がるし、新たな発見もある。
で、人が死んだ瞬間に体重が減るって話は…
「21グラム」って映画にもなったぐらいやから、オイラも知ってる。
体重、身長の大小に関わらず、人は死ぬと必ず「21グラム」減るっちゅう話な。
1907年、マサチューセッツのダンカン・マクドゥーガルっちゅう医者が発表したらしいんやけど、どうも測定方法もいいかげんで、死の瞬間もあいまいらしく、根拠に乏しい。
まず何をもって「死」とするかが分からん。
心停止?脳停止?
しかも1907年っちゅうのでも分かるように、測定方法は「天秤」を使用しとる。
かなり眉唾やな。
とはいえ、死後体重がいくらか減少するのは理解出来る。
遺体を見たら分かるけど、死んだら急速に干からびていく。
おそらく血流が止まることで、一時的な体温の上昇や、保湿能力が壊れるからなんやろ。
そうやって体内の水分が蒸発すりゃ、その分だけ体重が減るのは当然。
人体の7割は水で出来とるんやから。
これを「魂」とか「霊魂」とかって、結びつけるのはかなり無理があると思うけど、如何でしょう。
まぁ、幽霊だの、霊魂だの、っちゅう話は、こうやって「ある」とする側の意見を一つずつ潰していく作業でしか証明出来んねんな。
何故なら、ないものを証明するのは科学的には無理やから(悪魔の証明)。
ゼロに何をかけてもゼロなように、ないものをないと証明するのは不可能やねん。
唯一あるとすれば、「ある」という証明を全て潰すしかない。
「ある」という証明が成り立たん以上、「ない」とするしかないっちゅう検証方法しか取れんのやな。
※誰かないものを「ない」と証明する手段を知ってたら教えて下さい。
まぁ、個人的には「霊」だの「魂」だのっちゅうのは物理的には「ない」とする人間なんやけど、精神的っちゅうか哲学的にはあっても良いと思ってる。
だから、ムキになって潰そうとするんやろうな。
「あって欲しい」と思う自分がどっかに居て、自己矛盾から逃れたいから「ある」のを証明して欲しいと。
これを全否定してしまうと、先祖を大事にするとか、死者に感謝を捧げるとか、葬儀や法要の儀式にしても、全てが無意味になる。
死者が見てくれてると思うから、身を律したり、頑張ったり出来る部分も否定せなあかんようになる。
まぁ、葬儀や、法要は坊主や葬儀屋の金儲けの手段っちゅう側面もあるんやろうけど、死者を弔うというよりは、生きてる人間が「死」を受け止めて、悲しみから立ち直る為の儀式なんやろな。
してあげられへんかった後悔の念を、葬儀や法要で「やってあげた」と自己満足して、立ち直る為の儀式やと思う。
こういう精神世界がある限り、霊論争は100年経とうが、1000年経とうが、つきんわけですわ。
まぁ、それだけ人間は一人の力で意志を貫くことが難しい、精神的に弱い生き物っちゅうことでもあるけど…
そういう面じゃ、科学的に「ない」ことを証明したりすることも無意味なんかもしれんな。
結論、霊はあるとしてもええけど、全て脳内妄想と理解すること。
「ある」と思うのは個人の自由やけど、自分の中で完結させることやな。
それを他人に見えるとか言うて、気持ち悪くさせたり、悪霊や水子の霊がついてるなどと脅したり、それを利用して霊感商法したり…
こういうことは、どっちの側の人間も気をつけましょう。
それにしても、古代から肉体は精神を入れる入れ物であって、精神は滅びることはないって信じられてきたんやけど、その考えがこの科学の発達した21世紀にまで続いてるっちゅうのは…
それだけ、古今東西そういう教育をしとるっちゅうことなんやろな。
神様が見てるとか、天国に行った○○が見てるとか…
「どうして、○○しちゃいけないの?」
って聞くドチテ坊やを、理屈抜きで押さえ込む為に編み出したの必殺技。
「ダメなもんはダメ」って教えるのに、こういうもんを利用するのが楽やからなんやろな。
ちゅうか、「ある」とする側が、もっと科学的に論理的に検証すりゃええのに。
そしたら、脳科学ももっと進むやろうし、「あるない論争」より、もっと違った世界が広がる気がするんやけど…
まぁ、科学的、論理的に考えられる人間が、霊だの魂だのバカバカしくて研究してられへんか。
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