一番幸せなのは、
幸福なんて特別必要でないと悟ることだ。
★ウィリアム・サローヤン
「あれが手に入れば幸せになれる」
「これが出来れば幸せになれる」
「どうしてこんなに不幸なんだろう」
「幸せ」を探したり、「不幸」を気にしたりするけど、幸せは探す必要もないし、不幸も気にする必要なにねんな。
探し物って一生懸命探してる時って見つからんけど、「いつか出てくるやろ」ぐらいの気軽な気持ちの時の方が見つかるもんやん。
その事だけに集中にすると、視野が狭くなって、見えるもんも見えん様になる。
ましてや、他の事を考えるなんか出来んわな。
「幸せ」もそう。
「幸せ」が見つからんちゅうて、一生懸命探せば探すほど「自分は不幸だ」って思い込んで、「不幸」が大きくなる。
「探す」って事は、そもそも幸せやと思ってないわけやしな。
そうなると柔軟な発想も出来ん様になって、ますます「不幸」やと思い込む。
「幸せなんかどうでもいい」
ぐらいの気軽な気持ちで今を楽しめば、案外すぐそば「幸せ」は、あるもの。
そもそも、「幸せ」なんてものは探すものやなくて、感じるもの。
あると思えばあるし、ないと思えばない。
結局、「幸せ」って思い込むのが一番幸せやねんな。
自分の感じ方次第なんやから、どうにでもなる。
どうにでもなるって事は、特別必要じゃないねんな。
でも、「幸せなんかいらない」って思うと、「自分は不幸だ」って認める事になるんで、どうしてもそっちに引っ張られる。
なので、やっぱり「幸せ」って思い込むのが一番やな。
なかなか難しいけど、どんな状況でも小さな「幸せ」ってもんはあるもの。
その小さな「幸せ」を大きく感じられる人でありたいものです。
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