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NHKのエイプリルフールネタに批判が殺到して、NHKが謝罪するはめになったらしい

NHKのエイプリルフールネタに批判が殺到して、NHKが謝罪するはめになったらしい…今日この頃。
┐(´~`)┌ヤレヤレ

批判する方も、謝罪する方も、「何だかなぁ」って感じですな。

その批判が殺到したネタなんやけど、ツイッターで…


「本日、NHKと全ての民放が合併して国営放送になりました。今後は日本放送会社木履連盟(NHKPR)として、着物を着たアナウンサーが青い背景の前で、やや絶叫気味にニュースをお伝えする予定です」

って、つぶやいたのが批判されたらしい。

北朝鮮を連想させるとか何とかで、怒ってるらしいんやけど、これぐらいええがな(笑)

まぁ、ミサイル発射する言うとるから、時期的にアレなんかもしれんけど、別に怒るほどの事でもないがな。

驚きもなけりゃ、面白味もないけど…

ちゅうか、仮にも放送局なんやから、どうせやるなら…

「これぐらいやれ」っちゅう批判なら分かるけどな。

この動画は、イギリスのBBCが2年前にやったエイプリルフールのネタなんやけど、これぐらいやられると驚きもあるし、騙されても面白い。

で、結局…


「一部の方に非常に不快な思いをさせてしまいました。思慮不足でたいへん申しわけありませんでした」

こうなると(笑)

謝罪したら「北朝鮮に謝ってるのか」みたいな批判が来てるみたいやけど…(笑)

NHKに限らず、こういう現象って、現代日本の「病気」やと思う。

日本人に「寛容さ」がなくなったんか、批判し易くなったんか、批判に対して過剰反応するようになったんか…

「寛容さがなくなった」っちゅうのは、実生活でもよう感じるわ。

真面目な人が増えたっちゅうか、細かい人が増えたっちゅうか…

「批判し易くなった」っちゅうのは、昔ならクレームつけるにも電話しかなかったわけで、電話代払って、わざわざ電話せなクレームもつけられへんかったけど、今はネットがあるから、タダでしかも窓口広いからなぁ。

クレーマーにとっちゃ、やりやすい時代になっとるわな。

「批判に対して過剰反応するようになった」っちゅうのは、京都の五山の送り火の時の騒動とか、沖縄に青森の雪を持っていくって時の騒動とか、色々検討して決めたにも関わらず、一部の声の大きい批判が来ると、あっさり前言撤回して謝罪したりしてたからなぁ。

で、そういうクレームが恐くなって、何にもやらんか、クレームがこんように無難にこなそうとするようになる。

最近のTVなんかええ例ですわ。

もう地上波で「おっぱいぽろり」なんか絶対見られへん(笑)

昔は、ゴールデンタイムにあったのになぁ。

で、小さくまとまって、勝新太郎とか横山やすしみたいな豪快な人間が出て来る事はなくなったと。

「批判に対して真摯に向き合う」っちゅう姿勢はええ事なんやけど、それが行き過ぎて「批判されたくない」「嫌われたくない」になってる。

全ての人に受け入れられたり、好かれるっちゅうのは不可能やのにな。

こうやって他人の目を過剰に気にするから、過剰に「プライバシー」を守ろうとする。

大した「プライバシー」もないのにな(笑)

そういう社会を誘導しといて、社会との繋がりがどうのとか、孤独死がどうのとか言うとるんやからなぁ。

やってる事と言うてる事が真逆やねんな。

何にしても、勝新太郎とか横山やすしなれとは言わんけど、今の社会は、そういう「型破り」な人間が表に出にくい社会になってる。

小さくまとまった人間ばっかり集まったら問題を起こす頻度は減るやろうけど、伸びしろがないわけで、これ以上の成長は見込めん。

経済にしろ、政治にしろ、お先真っ暗状態なんは、そういう人間が育ちにくい社会にも原因があると思う。

という事で、少々の事は目をつむる「寛容さ」を持って欲しいもんです。

ちゅうか、今の社会は、あまりにも不寛容やから、批判する側は、他人の行動が気になって、気になってしゃあないし、批判される側は、「これをやったら怒られるかも」って他人の目を気にする。

どっちも他人が気になって、色んなもんに縛られてるねんな。

「不寛容」は争いしか生まん。

戦国時代しかり、キリスト教の十字軍しかり。

「憲法9条」だの「平和を守れ」だの言うヤツほど、不寛容で他人と争ってるしな(笑)

何事も「過ぎたるは及ばざるがごとし」で、寛容過ぎるのもまた問題やけど、もうちょっと怒らん社会になって欲しいもんですな。


不寛容社会 – 「腹立つ日本人」の研究 –











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