「争う姿勢」って…
あれだけ残酷な事をしといて、何がどうなったら争えるって思えるんやろな。
3歳女児虐待死で母親初公判=遺棄致死罪、争う姿勢―さいたま地裁
埼玉県狭山市で昨年1月、藤本羽月ちゃん=当時(3)=が虐待され、死亡しているのが見つかった事件で、暴行や保護責任者遺棄致死などの罪に問われた母親の無職藤本彩香被告(24)の裁判員裁判の初公判が29日、さいたま地裁(高山光明裁判長)であった。罪状認否で、藤本被告は暴行罪などについて認めたが、保護責任者遺棄致死罪については「なぜ亡くなったのか死因は分からない」と述べ、争う姿勢を見せた。判決は来月15日の予定。
「死因は分からない」って…
大河原優樹(内縁の夫)の裁判の時に虐待の様子が明らかになったけど…
60℃の熱湯をかけたにも関わらず、虐待がバレるからって病院に連れて行かんかったからやん。
だから、「保護責任者遺棄致死」を問われてるのに、どうやって争うねん。
ちゅうか、こんなん「保護責任者遺棄致死」やなくて未必の故意の「殺人」やろ。
「死ぬとは思わなかった」なんか通用せんっちゅうの。
それにしても、連れ子の虐待死ってのは、男が連れ子を殺すってのが相場なんやけど、このケースは母親が主犯で、内縁の夫が黙認してるんやからなぁ。
しかも、「争う」って…
大河原優樹の裁判の時も罪をなすりつけ合ってたけど、ほんま死刑すら生ぬるいな。
ちゅうか、「争う」って事は、反省なんか微塵もしとらんわけで、こんなのが「更正」なんかするわけがない。
懲役ってのは、「更正」が前提なわけやけど、これで懲役を科しても何の意味もないねんな。
「更正」なんかするはずもないし。
何にしても、「犯罪者の人権」とか「更正の余地」とか、近代国家なんで、そういう事を尊重せなあかんのやろうけど、一番重要なんは、「被害者の人権」と「犯罪抑止」のはず。
同様の犯罪をなくす為には、「こういう事をやったらこれだけの罰がある」って事を知らしめる必要があるのに、これだけ、罪と罰が釣り合ってなかったら、抑止力にならん。
なので「野蛮だ」何だって言われるんやろうけど、罪と罰を釣り合わす為にも、「釜ゆで」とか江戸時代の拷問刑を復活させて欲しいもんです。
拷問刑の復活が無理にしても、「犯罪者の人権」とやらに配慮し過ぎてるんで、そろそろ、そういうのを越えて、「犯罪者をいかに罰するか」って事を考えた法体系をつくるべきやと思うな。
コメント
藤本彩香全く反省しない。なんで、死刑にならない。藤本彩香無限の地獄に行け