ソチパラリンピックが開幕した…今日この頃。
(*^o^)ノ∠※PAN
24時間テレビなんかやるより、よっぽど「障害者」ってのを理解するのにも、「障害者」の為にもええと思うんやけど、何で放送せんのやろな。
メダル有望な選手もようけおるのに。
そんなに「障害者」は「可哀想な存在」やないと困るんかね。
すごい障害者を見せた方が同じ障害を持ってる人に希望を与えるし、健常者も障害者がここまでできるんやって事を知ったら対応も変わるやろ。
「障害者」の「害」の字が気に入らんっちゅうて「碍」に変えようとか、それなら「障」も「差し障る」やから変えようとか、訳の分からん事をやってるより、障害者は何ができて何ができんのかを知る方がずっと有意義やと思う。
最初から、可哀想やからって、何でもかんでも手助けしてたら、いい加減嫌になるけど、できん事を手伝うだけなら、健常者でも困ってる人には手助けするんやから、そういう「普通」の感覚で障害者に接する事ができる。
その「普通」が「差別」をなくすんとちゃうんかね。
「可哀想」ってのを最初に考えるから、佐村河内みたいなんが生まれるねん。
「可哀想」が行きすぎると「逆差別」も生むし、利権も生まれる。
パラリンピックを観て、障害者は可哀想な存在やなくて、こんなすごい事ができるってのをもっと知るべきやと思う。
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