「アイヌ」に「朝日新聞」とくれば、色々と妄想してまうけど、「昔話」とか「神話」的な話なんやし、これはこれでええんちゃう?
誰も「事実」とは思ってないんやし。
アイヌ民族の伝説、実は大阪の男性の創作だった 本人の手書きメモから判明
恋マリモ伝説は、恋仲となったアイヌ民族の若い男女が身分違いから結ばれず阿寒湖に身を投げ、魂が姿を変えてマリモになった物語。昭和初期に阿寒湖観光の宣伝で使われ始め、今もイベントなどで取り上げられている。1924年(大正13年)発行の「アイヌの伝説と其(その)情話」に収録されており、アイヌ民族の伝説と考えられてきた。ただ、アイヌ民族や研究者の間では和人の創作との見方もあった。釧路市教委マリモ研究室の若菜勇室長は十数年前、22年に朝日新聞社から発行された公募小説集「山の伝説と情話」にも同じ物語が収められ、作者が「永田耕作」だと突き止めた。それ以上の詳細は分からなかったという。
今年7月、永田さんの次男夏雄さん(88)=大津市在住=から市教委に、永田さんの創作を裏付ける資料の寄贈の申し出があった。永田さんの手書きのメモには、釧路に住んでいた時に親しくなったアイヌ民族から聞いた話を基に「所も、話の筋も変えて作文をした」と記されている。
「アイヌ」は今や「差別利権」の象徴になってるし、そこに南京大虐殺とか従軍慰安婦とかを「創作」した「朝日新聞」が絡んでくると、素直に受け入れる事もできんようになるけど、「和人がアイヌを虐殺した」とかそういう話なら、「また朝日か」って言わなあかんとこやけど、これは「恋仲の2人が身投げしてマリモになった」って話やから、作者がわかってむしろ良かったんちゃう?
しかも、アイヌ民族から聞いた話を基に創作してるんやし。
「恋マリモ伝説」は…
マリモ愛の伝説
その昔、阿寒湖畔の小さな村に美しい娘セトナがおりました。セトナはその村の酋長の娘で、酋長が定めた男と結婚する約束がありました。ところが、セトナはそのしもべ、マニベといつしか恋仲となってしまいました。マニベがしもべであるために、二人の恋はついにかなわず、やがてセトナは約束の男と結婚することになりました。けれども婚礼の夜、セトナはマニベを忘れることはできず、遠くから聞こえるマニベのかなでる美しい草笛に誘われて湖畔にさまよいいで、月淡き湖に二人は丸木舟で沖に漕ぎ出しました。 この世に結ばれぬ運命を故郷の湖底に結ぼうと身を投げたのです。
酋長をはじめ村人も、二人の深く清い心をそのとき初めて知り、二人の永遠の幸せを祈りました。
セトナとマニベの激しい恋の魂は、まもなくマリモの姿と変え、湖の中で永遠に生きて行き続けていると伝えられています。阿寒湖では、いまでも相愛の男女がマリモに祈りをささげると、いつまでも幸せになるといわれています。
こんな話やけど、本来のマリモの伝説は…
阿寒湖のマリモ伝説
昔阿寒湖に菱の実(ペカンペ)があったが、阿寒湖の神様はそれを喜ばず邪魔をしていた。然しペカンペはなんとか神様の機嫌を取ろうと努力し「私たちは出来るだけ仲間を多くしたいと思いますから、どうかいつまでもこの湖においてください」とお願いしたところ、苦り切った神様は「お前達を湖に置くとどうも湖が汚くていけない。それにお前達がいると、お前達を取るために人間が多くなって、いっそう湖が乱れるから置くことは出来ない」とペカンペの願いはにべもなく神様に断られてしまった。
我慢をし続けてきたペカンペもこの神様の冷酷な言葉に憤然として、あたりにあった草をむしって丸めて湖に投げ入れここを去ってしまった。そのペカンペにむしられて投げ込まれた草が現在のマリモになったと言うのである。
山本多助エカシ・阿寒の伝説
※アイヌはマリモを「トーサラウンペ」(湖の妖怪)といっておそれていたという。
こんな話なんやから、こっちよりええやん。
本来のマリモの伝説を表に出したら、マリモに愛着わかんで(笑)
なので、個人的には、今のままで良いと思います。
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