「多い」を「多いい」と発音する人が増えてるらしい…今日この頃。
(・。・)?
「おおいい」って言われてもピンとこんのやけど、発音だけで言うと個人的には「おーい」ってイメージやな。
最近よく耳にする、「多いい」という言葉。
「多い」ではなく「多いい」と、「い」をのばすような言い方だ。
「い」を伸ばすって事は、「おおいー」ってイメージか。
何か凄い違和感があるわ(笑)
これが最近増えてるんか。
ブログでも増えてるって事やけど、見た事ないなぁ…と思ったら若い子のブログってのを見た事がなかったわ(笑)
さらに調べてみると、鳥取などの一部地域では「多いい」という言葉が使われるらしいことがわかったが、みんなが鳥取などの出身者とは到底思えない。
へぇ。
鳥取の一部地域は昔からこうなんや。
これは「体育」→「たいく」、「雰囲気」→「ふいんき」など、耳を頼りに覚えている若者言葉なのだろうか。
「若者言葉」ってより、「体育」を「たいいく」って言い難いし、「雰囲気」は、オイラも完全に「ふいんき」やと思ってた(笑)
「ふいんき」で変換できんから困った記憶がある(笑)
むしろ、「ふんいき」って言うてる人の方が少ないんちゃうか?
「全員」も「ぜんいん」やなくて「ぜいいん(ぜーいん)」やしなぁ。
「ふいんき」と言う人は若い人だと思っていたけど、違うんですか!?
「『ふいんき』は『ふんいき』の音の位置が入れ替わったもので、『音位転倒(おんいてんとう)』といいます。たとえば、『新しい』は『あらたし』の音が入れ替わったものですし、『山茶花(さざんか)』は『さんざか』が、『舌鼓(したづつみ)』は『したつづみ』が入れ替わったもので、そうした昔からあるパターンなんです」
「新しい」が「あらたし」やったってのは知ってたけど、これを「音韻転倒」って言うんやな。
「さざんか」もほんまは「さんざか」やねんな。
へぇ。
「したつづみ」を「したづつみ」って言うのは初めて聞いた。
ちゅうか、どっちでも「舌鼓」で一発変換できるから、どっちでもええんやろな。
これは、「秋葉原」をほんまは「あきばはら」って言うのと一緒やな。
これを「音韻転倒」っていうと。
中々、勉強になります。
こういうのは、中学ぐらいで教えて欲しかったなぁ。
加えて、「うらやましい」を「うらまやしい」と言ってみたり、「おさわがせ」を「おさがわせ」と言ってみたりする、若者の意図的なアレンジによる「言葉遊び」の例もあるそう。
「うらやましい」は「うまやらしい」やろ(笑)
これ系では、「味あわせる」なのか「味わわせる」なのかで悩む事がある。
正解は、「味わわせる」みたいやけやけど…
では、「多いい」の場合は?
「ひとつには、西日本出自のものが東に入ってきたことがあると思います。『濃い』を『こいい』『こゆい』と言ったりすることがありますよね。同じ形容詞でも『美し・い』『寒・い』などと違って、『濃い』は語幹が“一音節”で不安定になるため、『い』を重ねて二音節にしているんです。長音の「おー」も一音節扱いということです。『おいい』と言うこともあります」
言われて見れば「濃い」で「こいい」やと「濃」が「こい」になるけど、「濃」は「こ」やもんなぁ。
ずっと「濃」で「こい」やと思ってたわ(笑)
オイラは西の人間なんで「こいい(もしくは「こゆい」)」で違和感なかったんやけど、東の人間は「こい」なんやろか?
もう一つ、「大きい」と類似した言葉であることもあるのではないかと篠崎教授は言う。
「『多い』が『大きい』に類似していることで、『おおきい』にあわせて『おおいい』になったということです。たとえば、『ちがう(違う)』の過去形として『ちがかった』と言う人がいますよね。これは、『違う』の反対の意味『正しい』の過去形が『正しかった』であることと関係しています。『違う』は動詞なのに、形容詞の『正しい』の過去形とかたちをそろえてしまうことで『ちがかった』となるんです」
「違かった」は変やろ(笑)
ちゅうか、あんまり聞かんで。
まぁ、大阪は「違う」が「ちゃう」やからなぁ。
その時点で異次元やから交わらんか(笑)
ほんま、「日本語」っておもろいなぁ。
ギャル語なんてのも流行ったけど、有史以来こうやって「言葉遊び」をしながら発達してきたのが日本語。
ブログだのSNSだの「素人」が文字で発信できるようになったから、こういう「変化」にますます拍車がかかってるんやろな。
「書き言葉」と「話し言葉」が違うっちゅうか、ワープロが追いついてないから、こういう事に惑うし、気づく事ができる。
これって、結構大事な事のような気がする。
「『言葉の乱れ』などとよく言いますが、乱れというと、規範から外れる感じがしますよね。でも、そもそも言葉の一番重要な手段は、コミュニケーションがとれること。1割の人が知っている正しい用法よりも、9割の人が日常で使っている誤用のほうが、今の人たちにとって言葉の意味を受けとめやすく、生活や感覚になじんでいるいということです」
「言葉」は、正しいとか間違ってるよりも、「伝わる」って事が重要なんですな。
こういう事に厳しい人もそれはそれで必要やと思うし、それを指摘されて、知識として何が正しいのかを知っておく事も大事やと思うけど、それはそれ、これはこれ。
ギャップが大きいほど「へぇ」って感動が増える(笑)
なので、これからも「話し言葉」は自由に進化していって欲しいもんですな。
ちゅうか、そもそも日本人は文字を持ってなかった(一部にはあったけど普及してなかった)のを「漢字」を輸入して、そこから「書き言葉」ってのが始まってるからなぁ。
で、漢文やと読みにくいって事で、読めるように「ひらがな」「カタカナ」を発明して現在に至ってるわけで、読むのと書くのが違うの当然やねんな。
おかげで、こんなに表現豊かな文化に育ったわけで、ほんま日本の先人のおかげですわ。
最近は、方言も消えかかってるけど、これからも「言葉」を大事にして欲しいもんです。
コメント
ちゃうかった→ちがうかった
とは思わん?