脳死は人の死に決まった…今日この頃。
今日、臓器移植法案A案が、衆議院を通過した。
まぁ、参議院で否決されて、衆議院で再可決されん可能性はあるけど、これで決定の流れやろな。
とにかく、廃案にならんで良かった。
今までは臓器を提供する場合に限り、脳死を人の死としてきたんやけど、これで法的には、脳死は一律人の死になる。
この2回で「脳死」について考えてみたけど、これで一応の決着がついたっちゅうことやな。
廃案になる可能性もあったんやけど、今朝の読売新聞の…
米の心臓移植 邦人に高額請求
日本人の心臓移植希望者を唯一受け入れている米国で、日本の小児患者が移植費用として、1億6000万円を請求される症例が昨年あったことが17日、わかった。今年3月には、医療機関へ事前に支払うデポジット(前払い金)として、別の小児患者が4億円を求められた。値上げの理由について、医療機関は明らかにしていないが、米国でも臓器不足は深刻なため、外国人の医療費を値上げすることで自国の待機患者の不満を解消するなどの意図があるとみられる。
調査したのは、国立成育医療センター研究所の絵野沢伸室長。米国と今年3月に新規受け入れを中止したドイツで、1998年~2008年に心臓、肝臓などを移植した日本人患者66人を対象に、集めた募金額や医療費などを分析した。
このうち、医療費が他の臓器よりもともと高かった心臓移植を受けたのは42人。うち、米国で07年までに移植し、費用明細が判明した23人の医療費は、集中治療室(ICU)に入った重症患者など3人(99年~04年)を除くと、すべての症例が3000万~7000万円台で推移していた。これに対し、08年は4人すべてが8000万円を超え、うち南部の小児病院と西海岸の大学病院で移植を受けた2人は、1億6000万円と1億2000万円を請求された。
米国に次ぐ数の日本人が渡航していたドイツでは費用明細がわかった8人の平均額が約3900万円で済んでいた。
4億円のデポジットを請求したのは西海岸の大学病院。デポジットは患者の医療費支払い能力を確認するため、医療機関が請求する。額は医療機関の裁量で決まり、値上げ理由は示されないことが多い。安く済んだ場合、残金は返済されるが、追加請求される症例の方が多い。
渡航移植には渡航費、付き添い家族の滞在費などもかかる。絵野沢室長は「医療費は今後も上がる可能性があり、国内で移植を完結できる体制を整えるべきだ」と指摘している。
この記事が、A案に賛成する流れを後押ししたんやろな。
WHOが原則禁止にせんでも、実質海外での臓器移植は出来んようになったんやから、国内でまかなわなあかん。
先送りしてる場合やないわな。
脳死が人の死と決まったっちゅうことは、今後は機械をつけて「生かす」行為は、「延命治療」やなくて、「腐敗防止」の意味合いが強くなる。
死者を治療することは出来んからな。
「腐敗防止」に健康保険が適用されるんか、どうかっちゅう問題はどうするんやろ。
それに、欧米と違い、火葬がメインの日本じゃ「エンバーミング」っちゅう考えが浸透しとらんから、臓器を取られた遺体の修復をどうするかっちゅうのも…
切り刻まれた跡が残る遺体は見たないやろ。
その辺のケアをどうするかとかも残るけど、どうせ何も手つけんのやろな。
まぁ、脳死を人の死と定義したのは一歩前進やし、評価もするけど、個人的には、臓器移植とセットでしか考えへんのが気にいらん。
肝心な問題が全て先送りやから。
この問題ですら、10年先送りしとるんやから、他の問題はおそらく手つけんやろ。
個人的には、「臓器移植」は基本的に反対。
どうしても、「そこまでして生きたいか?」と思ってしまう。
オカンが早くに死んどるし、ツレも何人か死んで、親戚には臓器移植すりゃ助かった親戚もおったから、そういう考えも分かるし、全否定する気もないし、それはそれでありやと思うけど…
やっぱり、基本的には、「寿命」として受け入れるべき問題やと思う。
とにかく、臓器移植が前提とはいえ、脳死が人の死と定義されて、一歩前進したんやから、今後は「死に方」についても議論して欲しいもんやな。
脳死や植物状態に限らず、末期癌とか、治療の見込みのない患者の死に方をどう認めるか。
ホスピスとか終末医療は、どうしても「医療の敗北」っちゅう意識が頭をよぎるから、どうにも積極的に進まん。
「尊厳死」とか「安楽死」とかは、「殺人」とか「自殺幇助」にすらなる。
これだけ医療が発達して、核家族化が進み、人から「死」が遠ざかってきとるから、「生きる」ことだけが注目されて、「どう死ぬか」っちゅうことが意識されとらんから、そういうことが無視され続けとる。
人の死亡率は100%。
遅かれ早かれ必ず死ぬ。
花は散るからこそ美しい。
もっと「死」について考えるべきやと思う。
これをきっかけに、もっと「死に方」についても議論して、どういう「死」を迎えるかを選べる時代が来ることを望みます。
それにしても、オイラのオカンが死んで、20年以上経っとるんやけど、当時は癌患者への「告知」はタブーが大勢やった。
未だに、「告知」するかどうか悩むって…
これも、「死」を遠ざけるから、こうなるねんな。
どう考えても、死期が分かってるなら教えてやるべき。
最初は辛いやろうけど、それを受け入れんことには、残りの時間をどう過ごすかっちゅうのも考えられんし、伝えたいことも伝えられん。
どっちが辛いって、死ぬ事より、そっちの方が辛い。
今日の一言でも紹介したけど、
明日死ぬと思って生きるべきやねんな。
健康やと、どうしても「死」について考えられへん。
「脳死」に限らず、日頃から「死」について考えて、「死」をどう受け入れるかっちゅう準備をしておくべき。
そうすることで、「生」が輝いて、「どう生きるか」っちゅうことも真剣に考えられる。
生きてるからこそ、「死」について深く考え、どういう人生を歩みたいのか、たまには「生きる意味」について真剣に考えてみて欲しいもんです。
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