会津藩が北海道と新潟をドイツに売ろうとしてた…今日この頃。
(◎皿◎)ナンデスト!!
「八重の桜」で、松平容保が京都守護職を受けるとこまできたけど…
1月25日に書いたように、ここからが会津藩の悲劇の始まり。
それにしても、綾野豪と松平容保…
似すぎやろ(笑)
で、この京都守護職を受ける事で軍備拡張に動くんやけど、八重の桜の第1話の冒頭で南北戦争のシーンがあったんやけど、この南北戦争で使われた銃を大量に輸入して、会津藩に売ってたんがスネル兄弟。
西のグラバーに対して、東のスネル兄弟。
グラバーはあまりにも有名なんやけど、スネル兄弟は、松平容保から平松武兵衛って名前を貰ったり、会津戦争後にアメリカに渡って「若松コロニー」をつくったりしてるのに、詳細がいまいち知られてない。
オイラが知らんだけかもしれんけど…
で、気になって、この武器商人のスネル兄弟の事を調べてたら…
※ここで出て来る「シュネル兄弟」が「スネル兄弟」。
こんな記事に行き着いた。
2011年2月7日の朝日新聞の記事なんやけど、2年前にこんなニュースあったんやな。
全然知らんかった。
こんなとこで、「ビスマルク」の名前を見るとはなぁ。
ちゅうか、幕末の日本に「プロイセン」が出てきたのに驚いた。
歴史好きのくせに、こんな事も知らんかったとは…
で、その中身なんやけど…
ドイツの国立軍事文書館に関連文書が3通あった。1868年7月31日、プロイセン駐日代理公使フォン・ブラントは「会津、庄内両藩から北海道などの領地売却の打診があった」として、本国に判断を仰ぐ手紙を出した。両藩は当時、北方警備のため、幕府から根室や留萌などに領地を得ていた。手紙には「交渉は長引かせることができる。どの当事者も困窮した状況で、優位な条件を引き出せる」と記されていた。
この「北海道など」の「など」に今の新潟県東蒲原郡(当時会津藩領)も含まれてるんやけど、たまたまビスマルクが植民地政策を取ってなかったから他国の領地に興味なかったけど、北海道と新潟っちゅうたら、ロシアと戦争するにゃあった方が都合が良い。
もし、会津藩の形勢が有利やったら…
買ってたかもしれんな。
それにしても、戦費調達で重税に次ぐ重税で、それでも足らずに偽金までつくって、それでも足らずに領地を売ろうとしてたとはなぁ。
いやぁ、結構ショックです。
「忠義の精神」とか、「散り際の美学」とか、会津藩と言えば「武士道の鑑」みたいに言われてて、領民の心は離れてたとはいえ、「武士」から見るとって事で、会津藩をそういう目で見てたのになぁ。
個人的に会津藩の評価がだだ下がりです(笑)
これが事実なら、完全に売国奴やん。
「攘夷」っちゅうて夷狄から日本を守ろうと立ち上がった薩長と、日本(北海道と新潟)を売ろうとしてた会津。
こういう目線で見りゃ、「朝敵」って言われてもしゃあないか。
個人的には、薩長が反乱軍で、むしろ「朝敵」って認識やったんやけど…
「史実」を知るってのは、ほんま難しいもんですな。
ただ、孝明天皇も薩長に暗殺されたって考えた方が辻褄が合うんで、薩長が反乱軍っちゅう認識は、個人的にまだ覆らんけどな。
まぁ、会津藩の評価はちょっと改めなあかんと思うけど、八重の桜で「さすけねぇ」「○○なんしょ」とかを聞いて、会津弁ファンになったんで、やっぱり会津藩を支持します(笑)
ほんま、会津弁っちゅうか、東北の訛りを聞くと心が和む。
昔、東京におる時に秋田の子とつき合ってた事があるんやけど、何故か方言で喋らんねんなぁ。
たまに使ってたけど、ほんまにたまに。
地方の人は、もっと方言で喋るべきやと思います。
って、何の話か分からんようになってきた(笑)
何にしても、「歴史」ってのは、こんなもんで立ち位置によって随分見方が変るし、明らかになってない資料もまだまだある。
どっちの「歴史」を信じるかは個人の自由なんやけど、なるべく多くの資料をベースにして判断するべきですな。
それにしても、この話も、それだけ会津藩も生き残りに必死やったって事やから、それだけあの戊辰戦争が壮絶やったって事の裏返し。
戦争ってのは、こんなもんで、権力者はいざとなったら、国も売るって事です。
それにしても、もし、この話が実現してたら、歴史はどうなってたんやろな。
新潟と北海道がドイツになってたら…
日清戦争も起きんかったやろうし、日露戦争も起きんかった。
想像すると、それはそれでおもろい展開になってたかもな。
何にしても、北海道民と新潟県民がドイツ人にならんで良かったです(笑)
日本全土がドイツになってた可能性もあるけど…
そう考えると、薩長が勝つのは歴史の必然で、これで良かったって事ですな。
とにかく、まだまだ知らん事がいっぱいで、人生、常に勉強ですわ。
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