アナウンスだけやなくて、口答でも「下りなさい」って言うてたんやな。
これって、救命措置の妨害って事で殺人未遂にならんのやろか?
「下りなさい」相撲協会員、口頭でも直接指示 心臓マッサージの女性は看護師
■あいさつ1分後に倒れ関係者によると、多々見(たたみ)良三市長(67)は土俵上であいさつを始めて約1分後、あおむけに倒れた。観客席にいた女性が土俵に上がって心臓マッサージ。会場に待機していた救急隊員らがAED(自動体外式除細動器)や担架を持って駆け付けたという。
この際、場内アナウンスのほか、日本相撲協会の協会員が女性らに「下りなさい」などと声を掛け、手ぶりでも下りるよう指示。多々見市長が運び出され、女性らも土俵から下りた後、土俵には大量の塩がまかれたという。
協会側はアナウンスについて、「人命に関わる状況には不適切な対応で、深くお詫びする」などと謝罪。塩をまいたことについては「土俵で骨折や大きなけががあった際の通例で、女性が土俵に上がったこととは関係はない」と釈明した。
■医師の市長が院長を務めた病院の看護師
関係者によると、最初に土俵に上がった女性のうち1人は、医師でもある多々見市長がかつて院長を務めた病院の看護師。「市長が倒れ、いたたまれずに、とっさに土俵に上った」と話しており、上がる際には「上がっていいですか」と、周囲に声をかけていたという。
多々見市長は搬送後、くも膜下出血と診断。命に別条なく、約1カ月の入院が必要という。
その協会員とやらを特定して、謝罪会見でもやらさん事には収まりつかんのとちゃう?
ほんま、相撲協会ってのはどうしようもないな。
それに引き替え…
土俵で救命措置の女性、感謝状を固辞「当然のことした」
実行委は5日午後、心臓マッサージの中心になった女性に感謝状を贈りたいと連絡したが、「当たり前のことをしただけ。そっとしておいてほしい」と固辞したという。
格好良すぎやろ。
相撲協会のクズっぷりが余計に際立つな。
そもそも、「女人禁制」にしたって、この騒動の時に書いたけど…
明治以降につくられたものなんやし。
ちゅうか、「女人禁制」ってのは、沖ノ島なんかにもあるから、日本の古代からある風習なんやけど、この「女人禁制」ってのは神様が女神なんで、女性が入ると女神が嫉妬するからって事なわけで、相撲の「女人禁制」とは根本的に違う。
「女性が入ると女神が嫉妬する」ってのも方便で、おそらくは浮気防止の為なんやろな。
この沖ノ島の「女人禁制」の流れで、漁船も「女人禁制」になってるけど、沖ノ島も漁船も人里離れてるわけで、「女人禁制」にしとかんと浮気し放題になる。
そうなると家庭崩壊に繋がるわけで、家を守ってる女性を守る為の「女人禁制」やったんやと思う。
誘惑されん為に最初から近寄らせんようにしとったんやろな。
なので、日本の古代の「女人禁制」は「女性差別」とは関係ない。
けど、相撲の「女人禁制」は、女性を「穢れ」「不浄」のものとして遠ざけてる。
日本の最高神が天照大御神で、神の使いの巫女が女性やのに、「生理=穢れ、不浄」ってのは、どうにも変やと昔から思ってたんやけど、詳しく調べた事がなかったんで、この機会に調べてみたら…
仏説大蔵正経血盆経
大日本続蔵経に《仏説大蔵正経血盆経》と題して収められている全420余字からなる小経で,血の穢(けが)れゆえに地獄へ堕ちた女人を救済せんがための経典である。中国では明・清の時代にかなり広く流布していたもので,仏教,道教,ある特定結社のものなどが存在しており,内容も多少異なっているが,いずれも血にかかわる罪を犯した者は血の池地獄に堕ちると説かれているのに対し,日本の《血盆経》には,産や月水の血で地神,水神等を穢した女性のみが,この地獄に堕ちるとされている。
こんなのが出て来た。
血盆経とは、女性が女性特有の出血のために、死後、血盆池(血の池)地獄に堕ちることを説く短文の仏教経典である。後述するように、経諸本には若干の本文異同が認められるが、概ね以下のような内容からなっている。仏弟子の目連尊者が、血盆池地獄を見る。ここは、出産時の出血(および月経)で地神を穢し、また血の汚れを洗った川の水を人がそれと知らずに汲み、茶を煎じて諸聖に奉り、不浄を及ぼしてしまう罪によって、女性だけが堕ちる地獄であった。母の恩に報いるため、目連は獄主に(または仏所に赴いて仏に)この地獄から逃れる方法を問う。獄主(または仏)は、血盆斎を営んで僧を請じ血盆経を転読すれば、血盆池中に蓮華が生じて、罪人が救われると説く。ミシェル・スワミエ氏によれば、当経は、10世紀以降に中国で民間仏教経典として成立したとみられる。
血盆経は日本でも受容され、日本の各地に所在する”血の池地獄”はこの信仰によるものである。
(中略)
血盆経の日本への伝来時期は定かでないが、遅くとも室町期までには伝来し、ある程度流布していたことが資料的に確認できる(以下の資料については、3・20中の指摘による)。
管見の範囲で最古の資料は、武蔵国深大寺(天台宗)の長弁による『長弁私案抄』所収、1429年2月、井田雅楽助亡母三十三回忌の諷誦文である。それによれば、法要に際して法華経・阿弥陀経・尊勝陀羅尼などとともに、血盆経3巻が書写されたことがわかる。同様の記事は、五山僧(臨済宗)の著述や公家日記のなかにも散見している。横川景三の語録詩文集『補庵京華続集』所収の「実際正真禅尼香語」によると、1482年5月5日、実際正真禅尼の十七年忌のときに、法華経1部とともに血盆経1巻が血書されている。景徐周麟の語録詩文集『翰林葫蘆集』所収の「畝苗正秀禅定尼尽七日拈香」には、1487年7月23日、源国範の亡妻の66日目の法要で、「大乗妙法之典」とともに血盆経10巻が書写されたとある。また、甘露寺親長の日記、『親長卿記』1491年8月28日条には、亡母の三十三回忌に際して、親長自身が法華経1部とともに血盆経7巻を書写したことが記されている。さらに三条西実隆の日記、『実隆公記』1496年10月14日条には、実隆の母の二十五年忌に、故人の甥にあたる甘露寺元長(親長の嫡子)が血盆経一巻を書写して持参したことが書き留められている。これらはいずれも、子供を持つ女性の追福供養における事例である。
亡母を弔うために用いられた経典としては、提婆達多品において龍女の変成男子(女性が男性に転じて成仏する)を説く法華経が代表的であるが、血盆経は母の救済を説いており、そのことによって、亡母供養の場に導入されたものと思われる。
(中略)
一般的に、古い時代の日本においては、女性の血のケガレは問題視されていなかったといわれる。それが、陰陽道の影響によって次第にケガレ意識が拡大し、血も忌まれるようになっていった。また、その一方には仏教の女性劣機観もあった。血盆経信仰は、両者のうえに塗り重ねられる形で、日本の中に浸透していったのである。
かつて血盆経を版行していた各寺院は、当然のことながら、現在はその頒布をほぼやめている。また流れ灌頂も、習俗としてはまったく行なわれていない。女人講もすたれつつある。一般的に山岳霊場は女人禁制であったが、わずかなところを除いて、その禁制も解かれた。
女性差別そのものである血盆経信仰は、今は忘れ去られつつある。それが歓迎すべきことであるのは、言うまでもない。だが、いまだ民間には、女性をケガレた存在とする観念が残っており、日本の女性観・ケガレ観の変遷を考えるときには、この信仰のことを念頭におく必要があろう。
日本は古代から女性上位の社会やったのに、男性上位の社会に変わったのはこれが大きいんかもしれんな。
鎌倉時代みたいな武家社会でも北条政子っちゅう女性の政治家がおったのに、それ以降目立った女性がおらんもんなぁ。
男性がこの「仏説大蔵正経血盆経」ってのを都合良く利用したのが始まりって考えると、時代の流れ的にも妙に納得するわ。
そもそも、仏教が…
仏教は女性蔑視の宗教であると言われている。例えば、『増一阿含経』には、以下のような、女性を蔑視する記述が見られる。お釈迦様は、長老に「女には、九つの悪い属性がある」とおっしゃった。その九つの悪い属性とは何か。女は、1、汚らわしくて臭く、2.悪口をたたき、3.浮気で、4.嫉妬深く、5.欲深く、6.遊び好きで、7.怒りっぽく、8.おしゃべりで、9.軽口であるということである。
仏教の開祖、ガウタマ・シッダールタは、女性(彼の養母であるマハーパジャーパティー)が教団に加わることを歓迎せず、八敬法を遵守するという差別的な条件付きでようやく許可したと『パーリ律』は伝えている。さらに、五障説・変成男子説によると、女性は、どんなに仏道修行に努め励んでも、女身のままでは仏となることは不可能で、成仏するには男の姿に転じなければならない。仏教が、カースト制度による伝統的な差別を否定し、万人の平等を説く宗教であることを考えるならば、仏教の女性差別を軽視することはできない。
「女性差別」の宗教なんやし、仏教伝来が日本の「女性差別」の始まりなんやろな。
仏教伝来の時の天皇が推古天皇やから、最初の頃は抑えてたんやろうけど、それから徐々に仏教の「女性差別」の部分が表に出て来たって感じか。
何にしても、古代日本の「女人禁制」は女性を守る為のものやったけど、仏教由来の「女人禁制」は「女性差別」そのものなんで、「伝統」とか言うとらんと、そろそろ改めるべきなんかもな。
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