「子供のいないお前に何が分かる」って言われた…今日この頃。
(¬_¬)
この時にご意見を求めたら、延命治療に反対派の方が圧倒的に多かったんやけど、賛成派の人は…
「子供のいないお前に何が分かる」
「他人がとやかく言う問題じゃない」
とか、これ以外にも色々あったけど、感情的な意見が多くて、議論にすらならんのやけど…
これだけ感情的な反応があるっちゅうことは、医療現場は大変なんやろなぁってしみじみ実感したわ。
「子供のいないお前に何が分かる」って、よく言われるけど、こういう人って「経験」以外全てを否定してるってことに気付かんのやろか?
人間は直接経験せんでも本を読んだり、勉強したりすることで間接的に経験出来るはず。
それを否定するってことは、「学習」すら意味のないことになってしまう。
例えば「歴史」について語ってる人に向かって、「その時代に生きてないお前に何が分かる」って言うヤツはアホやと思わん?
「他人がとやかく言う問題じゃない」も、延命治療には健康保険も使われてるわけで、誰もが少なからず関係してるし、他人やから放っといてええ話でもない。
ちゅうか、国民全員で考えなあかん話とちゃうんか?
脳死や植物状態に限らず、治療の見込みのない患者の延命治療もそうやけど、1度延命すると、今度はやめると「殺人」に問われる。
「安楽死」とか「尊厳死」とかも、もっと考えていかんと今後医療が発達すれば発達するほど、こういう感情的な反応は、問題解決のネックになるし、医療費圧迫の原因にもなる。
気持ちは分からんでもないけど、それは考え方次第でどうにでもなる問題。
動かん、喋らん、意識がない、そういう人間でも「生きてる」と思えるなら、墓や位牌でも「生きてる」と思えるはず。
少子高齢化問題や医療費高騰や臓器移植、色々問題化してるのに他人やから関係ないって避けて通れる問題やない。
延命治療や救急医療の蘇生措置をどうするかは、個人個人が事前に意思表示しとかんと混乱の元やねん。
カネの話もあんまりしたくないけど、「脳死」を認めることで、治療を受けられる人が増えりゃ、結果的に医療費の削減にもつながる。
安易な脳死判定が増えて、「早く臓器をよこせ」っちゅう風潮になる恐れもあるけど…
まぁ、日本人の死生観として受け入れにくいのは分からんでもないんやけど、感情的にならず、冷静に客観的に「死の定義」を議論していくべきやと思うな。
読者さんの意見でもあったんやけど、ブラックジャックの本間先生の…
「人間が生き物の生き死にを自由にしようなんておこがましいとは思わんかね」
って言葉の意味をよく考えて、「生きる」とはどういうことか、「死ぬ」とはどういうことか、自分なりの答えを探して、自分がそう(脳死状態や植物状態や治療の見込みのない場合)なったらどうして欲しいか周囲に意思表示しとくべきですな。
それにしても、「介護殺人」なんかもちょくちょく聞くけど、一生懸命世話したあげく辛くなって殺す。
動物なんかは、死期を悟って群れから消えて、自然に死ぬのもおるけど、人間は自然に逆らって寿命を延ばすことができるから、その反動で色んな問題が生じてる。
長生きする人間が増えて、医療費が高騰して、健保が潰れるっちゅう現象も起きてるしな。
これだけ医療が発達すると、「生き方」と同時に「死に方」も考えとかあかんと思う。
長生きするのは良いことのように思うけど、自然に逆らって寿命を延ばすっちゅうことは、人類全体で考えると歪みが生じることになる。
個人的な感情論やなくて、人類全体のことを見渡して「生き死に」を考えるべきやないかな。
それで、「人間らしい生き方」「自分らしい生き方」を考える。
人は必ず死ぬ。
「どれだけ生きたか」より「どう生きたか」が重要やねん。
その時が来るまでどう生きるか、子を持つ親なら尚更今から子供に伝えておくべき。
それが定まってたら、延命や蘇生っちゅう考えも変るはず。
健康なうちは気にせんやろうから、意識して時には「死ぬ」ことを考えることも必要かもな。
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