人間は500歳まで生きる事が可能らしい…今日この頃。
(; ̄□ ̄)ナヌッ?
120歳が限界やなかったっけ?
人間は500歳まで生きることが可能
英国医学研究審議会の元最高責任者コリン・ブレイクモア氏は、人体の年齢には上限が存在し、これが生きることが可能な長さなのだと主張する。同氏は、これまで120歳を越える人間がほとんどいなかったことを根拠に、これが境界なのだとしている。
確か、テロメアの長さを研究したら、120歳が限界って話やったやん。
これに対し、世界的に超一流の研究者を抱える研究所では、寿命を伸ばすためのさらに風変わりな研究に既に着手している。それは遺伝子工学によるものから、超小型ロボットを用いて細胞の劣化に対処するもの、人体器官をロボットやクローンで置き換えるものなど様々だ。衝撃的なことに、人間の意識を機会に”アップロード”する試みまで存在する。
「機会」やなくて「機械」やと思うけど、仮にそれができたとしてやで、ハードディスクの記憶容量なんかしれてるやん。
どんだけ技術が発達したって、記憶容量ってのには限りがあるわけで、データ増えすぎたら消去すんの?
仮に消去するとなると新しいデータほど重要なんで、古い情報から消去して行くと思うんやけど、そうなると、「生きてきた証(記憶)」ってもんがなくなるやん。
これが可能になると、ただ、生きるって事はできるかもしれんけど、過去をどんどん消去していったら、「自分って何?」って事にならんか?
そこまでして「生きる」意味って何なんやろな。
機械の体を手に入れて、不老不死になるって、銀河鉄道999みたいな話になっとるけど、あれを見てたらこんな発想にゃならんと思うけどなぁ。
「花は散るからこそ美しい」って言葉もあるように、終わりがあるからこそ、人生も輝くわけで、終わりがないとなりゃ、何でもかんでも先延ばしで、長生きしても中身はつまらん人生になるだけやで。
それでなくても、寿命が延びて、ただ生きる人間が増えとるのに…
明治維新の立役者が30代なんも「終わり」を意識してたから、あそこまでできたやん。
現代人は、自分に終わりがあるなんて事を考えてる人も少ないやろ。
「死」に無頓着になると「生」も軽くなるねん。
カネにあかして、不老不死を手に入れる事を考えるより、「どう死ぬか」って事を考えて、「生」を輝かせた方がよっぽど有意義やと思うけど…
自堕落な生活を送っとるんで、あんまりえらそうな事を言えんけど、個人的には「不老不死」なんかろくなもんやないと思うな。
それにしても、何で「不老不死」なんか手に入れたいんやろなぁ。
まぁ、「不老」はありゃええけど、「不死」はほんま分からんわ。
そんなに長生きして何がしたいんやろ?
個人的には、80年でも長いと思っとるのに…
人間は50年で丁度ええと思うわ。
40までに全てやり終えて、後は隠居。
そこから40年は長すぎるんで、10年ぐらいで終わってくれりゃ「良い人生だった」って言うて終われるやろ。
だいたい、寿命が50年ぐらいの頃は、誰もが必死に生きてたし、年寄りも大切にできたけど、80年になって色んなもんが崩壊しとるし、「思いやり」ってのも「命の大切さ」ってのも分からんようになってきてるやん。
それもこれも、死が間近にないからなんやで。
明日死ぬと思えば、今日を必死に生きるやろうし、明日やなくても限りがある事に気づきゃ、1日をもっと大切にするはず。
「不老不死」なんか手に入れたら、人間がダメになる気がするんでやめた方が良いと思う今日この頃です。
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