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奈良市登美ケ丘4丁目の塚本優人さん宅で30歳の妻と3歳の長女と1歳の次女が死亡 無理心中か 「妻が子育てに悩んでいた」

奈良市登美ケ丘4丁目の塚本優人さん宅で30歳の妻と3歳の長女と1歳の次女が死亡 無理心中か 「妻が子育てに悩んでいた」

いつもの「無理心中」という名の殺人なわけやけど、何でこうも道連れに死ぬんかね。

無理心中は日本特有で、日本では子供は「親のモノ」って考えが根付いてるからこうなるって話やけど、昔ならいざ知らず、今は親はなくとも子は育つ環境は整えてられてるわけで、ましてや旦那もおるのにこうなるのが、ほんま理解に苦しむ。

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奈良の住宅で母子3人死亡 無理心中の可能性

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18日午前7時ごろ、奈良市登美ケ丘4の会社員、塚本優人さん(36)方で、塚本さんの妻(30)と長女(3)、次女(1)の3人が亡くなっているのを、帰宅した塚本さんが見つけ、近くの交番に届け出た。奈良県警は、妻が無理心中を図った可能性があるとみて、詳しい死因などを調べる。

県警奈良西署によると、警察官が駆け付けた際、妻は2階建て住宅の2階廊下で、子ども2人は1階浴室でいずれもあおむけに倒れており、その場で死亡が確認された。

一家は4人暮らし。塚本さんが夜勤明けで帰宅した際、玄関は施錠されていたと説明しており、県警は外部から第三者が侵入した可能性は低いとみている。署には5月、塚本さん夫婦から育児に関する相談が寄せられていたといい、県警が関連を調べている。

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奈良市登美ケ丘4丁目の塚本優人さん宅で30歳の妻と3歳の長女と1歳の次女が死亡 無理心中か 「妻が子育てに悩んでいた」

無理心中は美化される風潮もあるけど、どう考えても親の勝手な思い込みによる殺人やからなぁ。

「将来を悲観」って言うても、親がおらんでも子供は生きて行く事は出来るわけで、死ぬなら1人で死ぬべきですな。

まぁ、そういう事が考えられたら「死」は選ばんのやろうけど。

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現場は奈良市登美ケ丘4丁目の塚本優人さん宅

現場は

現場は奈良市登美ケ丘4丁目の塚本優人さん宅
この画像から

奈良県奈良市登美ヶ丘4丁目6−18の塚本優人さん宅と。

2018年11月はこの状態やから、まだ建てたばっかりやのにねぇ。

遺された塚本優人さんが不憫でならん。

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塚本優人さん「妻が子育てに悩んでいた」

塚本優人さん「妻が子育てに悩んでいた」

「妻が子育てに悩んでいた」って分かってたなら手伝えよって話やけど、手伝えんのなら何かしら行政に手助けを頼みゃええのに。

何でこうなるんか、ほんま理解に苦しむ。

無理心中は「日本人特有の病」

日本の親が子どもを「モノ」扱いしてしまう、根本的な理由
東京都目黒区で船戸結愛ちゃん(5)が虐待の末に死亡した。痛ましい事件が起きた原因として、専門家からは「児童相談所と警察がきちんと連携していなかったからだ」「児相の人員が不足しているからだ」といった声が出ているが、筆者の窪田順生氏は違う見方を...
親が後に残された我が子を不憫(ふびん)に思って道連れに――みたいな痛ましい事件が周期的に発生するので、日本人の多くはこれを現代社会特有の悲劇みたいに受け取っているが、そんなことはなく、正確には「日本人特有の病」のひとつだ。

もちろん、親子心中はあらゆる国、あらゆる文化で確認される。例えば米国では、よく錯乱した父親が家族全員を銃で撃ち殺して、最後に自分も銃口をくわえる、という悲惨なケースも珍しくない。

だが、日本が特殊なのはその扱いだ。

多くの国では、血がつながっていても自分と異なる他者の命を奪う犯罪行為であり、そこにどういう事情があろうとも美化や正当化されない。それに対して日本では、「罪」の意識が希薄で、周囲からも「そこまで追いつめられた親も辛かったんだろうね」なんて同情の声も出てくる。

そのあたりの特殊性は、今から30年以上前に米国で起きた「心中論争」が分かりやすい。

痛ましい悲劇に全米は泣かなかった

1985年1月、カリフォルニア州サンタモニカの海岸で、32歳の日本人主婦が、4歳の息子と6歳の娘を道連れにして入水自殺をして、自分だけ一命をとりとめた。

心中の原因は夫の浮気。保護された女性は、取調官に「子どもだけを残して死ぬことは心配でできなかった」などと供述したという。

我々の感覚では、「痛ましい悲劇に全米が泣いた」みたいな反応を想像するだろうが、当時の全米は腰が抜けるほど驚いた。その衝撃を、現地メディアのヘラルド・エグザミナー紙がこんな風に報じている。

「米国では母親が愛情から子供を殺すことは極めてまれ。あったとしてもそれは憎しみからで、狂気のさたか、身勝手な残虐行為として非難される。ところが、日本では親子心中が年間四百件もある。しかも、自分だけ死ぬより、子を道連れにする母親の方が慈悲深いとされる」「これは日本社会では就職、結婚などのさい、以前、親のない子が差別される風潮があるからだ」(読売新聞 1985年3月15日)

また、海外メディアがデマをまき散らしやがってと怒りに震える方も多いかもしれないが、この指摘はそこまで大ハズレではない。例えば、年間400件というのは82年に桃山学院大社会学部の飯塚進助教授(当時)が日本で親子心中が「異常に多い」ことに着目して、調査を行った結果である。

「昭和五〇年から五十五年までの六年間に、全国で二千五百五十五件(年平均四二五・八件)の親子無理心中が起きている。一日平均一・一七件」(読売新聞 1982年12月30日)

子を道連れに自殺する母が社会的評価を受けるというくだりも、外国人が日本の刑法をみればそう解釈するのも無理はない。米国刑法では、第一級殺人は懲役25年か終身刑、今回のように子ども2人を殺めれば死刑になる可能性が高い。が、日本の判例をみれば、子殺しをした米国の死刑囚らが、うらやむような「超温情判決」がでる。

「親子心中で親だけが生き残った場合の刑罰は懲役三年以下だが、子供を失ったことで十分な制裁を受けたとして、執行猶予がつく場合が多い」(読売新聞 1985年3月15日)

日本では親が子どもの将来を案じて、命を奪うのは悪いことではないとされている――。そんな風に米国人が受け取ってしまうほど、「親に甘い社会」なのだ。

全文はリンク先で読んでもらうとして、とにかく日本人には、親が子供の将来を案じて命を奪うのは悪い事やないっていう風潮があると。

まぁ、「こけし(子消し)」なんていう文化が昭和まであった国やからなぁ。

尊属殺や卑属殺って言うて昭和まで子殺しは軽く扱われてたし。

労働力確保の為にたくさん産むけど、食わせていかれんようになると間引く。

その遺伝子が未だに日本人には残ってるんですな。

Twitterの反応

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何にしても、無理心中という名の殺人は親が生き残っても厳罰に処されんケースも多いわけで、こういう風潮をなくす為にも厳罰にするべきですな。

死んだ場合もちゃんと被疑者死亡で書類送検するように。

それと、「親はなくとも子は育つ」って事を周知徹底して、色んな行政サービスがある事を教える事ですな。











殺人・殺人未遂・通り魔
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