「起立・礼・着席」がない学校があるらしい…今日この頃。
(; ̄□ ̄)ナヌッ?
こういうのは「形」から入るもんやから、「嘘」でもやるべきやと思うけど…
視聴者からは、「授業参観に行ったら『起立・気を付け、礼』がなくて驚いた。『軍隊じゃあるまいし、必要がないなら、やめろ』という保護者からのクレームで廃止になったそうです」という投稿が。
「気持ちが入ってないのに、礼とかしても無駄」という有村昆に対し、藤田紀子は、「礼に対する気持ちは、形式的なことから身についてくるから段階として必要」と反論。
「気持ちが入っていなくても習慣化させることで、大人になったら徐々に気持ちも入ってくるようになる。習慣づけることが大事」と、藤田は語った。
全く以て藤田紀子の言う通りで、こういうのはとりあえず「形」から入るべきやと思うけどなぁ。
こういうのは、形から入って、そのうち身につくわけで、最初から感謝を示せるヤツなんかおらんやろ。
日本には、「社交辞令」ってもんもあるわけで、嘘でもこういうのを身につける事で、コミュニケーションが円滑に行くって事もあるんやし、「気持ちが入ってないのに、礼とかしても無駄」なんか言い出したら、そういう事もできんようになるで。
「軍隊じゃあるまいし…」ってのも、一応教えて頂く立場なんやし、嘘でも頭下げろよ。
何がそんなに嫌なんやろね。
こういうのが当たり前になるから、謝る事もできんのが増えてるんとちゃうか?
「うちの子は、授業ギッシリで疲れているから掃除をなくせ」という親からのクレームで、掃除を業者に頼むようになったという学校については。
「掃除」も教育の一環やろ。
ちゅうか、ワックスがけなんか楽しかったけどなぁ。
掃除してんのか遊んでんのか分からんかったけど、ワックスがけに限らず、競争したりなんかして、掃除を嫌やと思った事なんかなかったけどなぁ。
業者に頼んだらまた無駄な税金が発生するんやで。
学校も学校で、こんなクレームいちいち受け付けるなよ。
ほんま、困ったもんです。
それにしても、災害時でも日本人は秩序だって行動するっちゅうて、世界からも感心されてるのに、こういう事をやらんようになると、そのうち、そういうのもなくなるんやろな。
「礼」とか「挨拶」とか、こういう全体主義的なもんを、形から仕込んで行くから、大人になっても秩序を守ろうとする民族であり続けてるわけで、これが崩壊すると、完全に「個人主義」になって、「自分さえ良ければ良い」って人間が増える事になる。
「火事場泥棒」なんかも少ない国やけど、これもこれからどんどん増えるんやろな。
それで、「独創性」が世界レベルになるなら、これもそれなりに意味はあるけど、そういう民族でもないしなぁ。
礼儀正しく秩序を守る民族がこれを否定して、これをなくしたら、「日本人」ってのは、どうなるんやろね。
何とも、空恐ろしい事が始まってる気がする今日この頃です。
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