24連勝中やったし、取るとは思ってたけど、ほんまに取るとやっぱり泣ける(涙)
しかも、オリンピックレコードやし。
それにしても、30歳超えてから進化するんやからなぁ。
ほんま、凄い人です。
小平「自信あった」ジンクス破る冬季五輪初の日本代表主将金メダル
小平奈緒(31=相沢病院)が36秒94で五輪新記録をマークし、冬季五輪での日本代表主将で初となる金メダルを獲得した。これまで冬季五輪で日本選手団の主将となった選手は、60年スコーバレー大会のアルペンスキー・猪谷千春をはじめ15人が就任しているが、主将となった選手が金メダルを獲得したことが1度もなく、前回のソチ大会での葛西紀明のジャンプ個人のラージヒルでの銀メダルが最高順位。メダル獲得も葛西を含め2例だけと結果を残せていなかった。
また、夏季五輪でも16年リオ五輪で主将を務めた吉田沙保里がレスリング・フリースタイル女子53kg級銀メダルを獲得したが、これが92年バルセロナ五輪の柔道の古賀稔彦(金メダル)以来6大会ぶりのメダル獲得だった。
そんなジンクスを打ち破っての価値ある金メダル。小平は「主将を任された時には周りから『ジンクスがある』とか『金メダルは獲れない』って言われたりもしたんですけど、私は絶対、500メートルは自信があるって強い気持ちがあったので、きょうはそれを示すことが出来てよかったです」と胸を張った。
関連動画↓
まさに「圧巻の滑り」です。
そんな小平奈緒を支え続けてるのが「神様のカルテ」のモデルになってる相沢病院なんやけど…
この相沢病院の相沢孝夫理事長が恰好良すぎるねんな。
病院嫌いのオイラも、こんな理事長がやってる病院なら行きたい(笑)
相沢病院理事長「幸せをありがとう」 小平奈緒を支える
平昌冬季五輪スピードスケート女子500メートルで金メダルを獲得した小平奈緒を支えてきた相沢病院(長野県松本市)の相沢孝夫理事長(70)は18日、「この幸せな瞬間に立ち会わせてくれた小平奈緒さんに感謝したい。金メダルや銀メダルは結果であって、これまでの大変な努力の成果が出た滑りだと思っている。幸せをありがとう」とコメントを発表した。
アスリートの所属先が企業やなくて病院ってのも珍しいんやけど、小平奈緒が信州大学を卒業する時に就職先がなかってんな。
「朝日新聞で雇ってください。このままじゃ、ニートスケーターで……」小平は当時、信州大教育学部4年。将来は「先生になってスケートの楽しさを伝えたい」という夢はあったが、師事する結城匡啓(まさひろ)コーチのもとで、まだ競技を続けたかった。だが、4年生の冬になっても就職先が決まらない。4カ月前の北京五輪で有名になったフェンシング・太田雄貴の「ニート剣士」をもじって自虐的に笑った。
長野の地元紙には、スケルトンで五輪に出場した記者がいた。そんなことも話題にしながら、小平は言った。「私、自分で滑って自分で記事を書きます」
本気で記者になりたかったわけではないだろう。ただただ、競技への一途な思いが伝わってきた。
危うく所属先が朝日新聞になるとこやったけど、そんな小平奈緒に手を差し伸べたのが…
「勝て」と言わぬ支援者 小平、金の恩返し
2009年の大学卒業間際。小平は苦境に立たされていた。大学での主な実績は、2年時の全日本距離別選手権1000メートル優勝と、4年時の同選手権1500メートル優勝などで、世界に広く知られる存在ではなかった。小平は競技続行に当たり、同大教授の結城匡啓(まさひろ)コーチ(52)の指導が受けられる環境を希望した。だが、当時はリーマン・ショック真っただ中。「世界一」の肩書もない小平の希望を受け入れてくれる企業はなかった。
そんな中、日本スケート連盟が提携するスポーツドクターで、相沢病院のスポーツ障害予防治療センターに勤務する村上成道医師が、当時院長だった相沢孝夫さん(70)=現最高経営責任者=に引き合わせてくれた。08年に左足を痛めた際、リハビリをした病院でもあった。
面談した相沢さんが抱いた小平の第一印象は「さわやかで、派手なことや華美なことは求めない人」。「広告塔」として期待したわけではなく、「スケートに打ち込みたい」という真っすぐな瞳に心を打たれた。「話しているうちにすーっと僕の中に入って来て支援を決めた」。同センター職員として給料を払い、用具代、遠征費など年間1000万円超をサポートする。
10年のバンクーバー五輪では1000メートルと1500メートルで5位、14年のソチ五輪では500メートルで5位に入ったが、なかなか才能が開花しなかった。小平はソチ五輪後、飛躍を求めてスピードスケート王国・オランダへの留学を希望した。
「いいんじゃないか。本人がやりたいようにやれば」。話を聞いた相沢さんは、14年春からの2年間、長期出張という形で、小平をオランダに送り出した。オランダ仕込みの「強者のメンタリティー」を手にした小平は、帰国後の16年からW杯500メートルで15連勝を続ける。
平昌五輪を10カ月後に控えた昨年4月。小平からもう一つの要望があった。「バンクーバー、ソチ五輪に出場し、同部屋だった同い年の石沢志穂さんをサポート役にしてくれないか」。相沢さんは、この時も二つ返事でOKした。「過剰な要求をしない小平がお願いしに来たということは、石沢さんを本当に必要としているということ。素人では世界で戦うサポートはできない」
石沢さんは遠征に同行し、試合中もそばにいる。「練習もすごく雰囲気がいい」と喜ぶ小平は、昨年11月のカナダ遠征中にもツイッターに「身体再生中。いっしーのお料理で、長い遠征中の身体づくりもバッチリです。カナダにいるのに、日本より日本らしい食事」と投稿した。
「躍動感あふれるレースができた」と振り返った小平。「長野出身で頑張っている小平を応援しているだけ。僕は一度も『勝て』と言ったことはない」と話す相沢さんに、輝くプレゼントを贈った。
今でこそ「見る目がありましたね」「いい宣伝ですね」と言われることが多いが、相沢理事長は「患者さんは、スケート選手がいるから来るわけじゃない。ちゃんと治してもらえるかでしょ。僕は一生懸命頑張っている一人の女性を応援したいだけ」と笑う。現地で「僕らの誇り」と語る小平の笑顔を見る瞬間を楽しみにしている。
09年初め、信州大卒業後も結城氏の指導を受けるため、小平は地元での雇用先を探していた。そんな彼女に手を差し伸べたのが、相澤理事長だった。「彼女に対しては、毎月の給与の他に、住居費用や遠征費用など、スケートにかかるあらゆる面で、可能な限りの支援をしています。一応、病院のスタッフということになっていますが、最初から働いてもらうつもりはありませんでした」
4年前のソチ五輪の後、オランダで修業したい、と相談された際には、
「“病院に留学制度があるからそれを利用したらどうか”と伝え、実際、その形での2年間の留学となりました。現在、彼女に支払っている給与は年収ベースで500万円以上。渡航費用なども含めると、年間2000万円から3000万円くらいでしょうか」
それでいて見返りを求めないのだから、まさに「足長おじさん」。2月18日に行われる女子500メートルは現地で観戦するという。
ええ話過ぎて、ほんま泣ける(涙)
この相沢理事長がおらんかったら、この結果もなかったかもしれんわけで、ほんま相沢理事長に感謝です。
それにしても、アスリートの環境ってのはどうにかならんもんやろか。
企業は営利を追求するとこやから、「宣伝」にならんかったらカネは出さんし、不景気になれば縮小するしなぁ。
これだけ国民に勇気と感動を与えるんやから、税金で支援してもええぐらいやと思うんやけど…
せめて、寄付ができりゃなぁ。
なので、アスリート支援する組織をつくって欲しいもんです。
何にしても、小平奈緒選手、相沢孝夫理事長、金メダルおめでとうございます。
コメント