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肉じゃが発祥の地は舞鶴か?呉か? 「肉じゃが論争」ついに決着か 東郷平八郎が作らせた説は都市伝説だった

舞鶴でも呉でもどっちでもええけど、東郷平八郎がイギリスで食べたビーフシチューの味が忘れられずに、帰国後に料理長に作らせたって話が都市伝説やったって方が驚いたわ。

ずっと、そうやと信じてた。

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【ABC特集】舞鶴か?呉か?  海軍ゆかりの町の仁義なき「肉じゃが論争」ついに決着か

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180315-00010001-asahibc-life
明治34年(1901年)、海軍鎮守府の長官として、舞鶴に赴任した東郷平八郎は、イギリス留学中に食べたビーフシチューを作るよう料理長に命令。しかし、当時は赤ワインやバターなど手に入らない調味料もあったため、料理長は、しょうゆと砂糖、ごま油を使って味付け。そうして出来上がったのが「肉じゃが」、というのが舞鶴では定説なんだそうです。

「今から23年前に、舞鶴の元海軍、今の海上自衛隊の図書館から『海軍時代の料理の教科書』が出てきたんです。」

こう話すのは、「まいづる肉じゃがまつり実行委員会」の会長・伊庭節子さん(69)。
1995年、舞鶴にある海上自衛隊第4術科学校の図書館に、海軍時代の肉じゃがのレシピが書かれた教科書があるのを知った伊庭さん。この1冊以外に、どこからも見つかっていないことから、『舞鶴が発祥の地』と高らかに宣言しました。

(中略)

本当に呉は、舞鶴に“便乗”したのでしょうか?舞鶴と同じく、海軍にゆかりのある港町の広島県呉市。地元の人たちの「肉じゃが」に対する認識は…

「Q.呉が発祥の地なんですか?」
「そうだと思います。」(呉市民)
「らしいですね。きのうも肉じゃがして食べました。」(呉市民)

こちらも、当たり前のように「我が街が発祥の地」だと思っているようです。さらに聞いてみると…

「東郷さんがビーフシチューを作るのに…」(呉市民)

出ました、東郷平八郎!舞鶴と同じエピソードが、ここ呉からも。

では、呉の「肉じゃが」はどんな味なんでしょう?呉市内のホテルで作ってもらいました。

「おぉ、ジャガイモが大きい。少し薄味です、あっさり。」(山下記者)

舞鶴と比べて、呉の肉じゃがはジャガイモが大きく、にんじんとグリンピースが入っていません。見た目も味も、大きく違う呉と舞鶴の「肉じゃが」。取材班は、舞鶴の伊庭会長の“ライバル”に接触。ズバリ、聞きました。

「Q.呉が後から乗っかってきたと、舞鶴の伊庭さんが言っていましたが?」(山下記者)
「それはあちらの表現で、私は乗っかったのでははくて、『本来は私たち(呉)だから』というので、これはどうしてもPRしようと。たまたま時期が遅れただけかな、と思ってますね。」(「くれ肉じゃがの会」広報部長・佐野勉さん)

呉側は、「“東郷平八郎が最初に肉じゃがを作らせた”と言うなら、舞鶴より先に赴任していた呉が発祥の地だろう!」と主張。さらに、舞鶴側が根拠とするレシピが書かれた教科書についても…

「あれは教科書ですから。すべての艦船で教科書はあります。呉はすごい空襲を受けて、ほとんどの艦船が沈められた。大空襲があったから、たまたま残っていないんですよ、残念ながら。」(佐野さん)

「Q.呉が肉じゃが発祥の地、というのは間違いない?」(山下記者)
「もうこれは完璧に自信がありますね。」(佐野さん)

舞鶴側の主張に真っ向から反論。これに対し、舞鶴側は…

「Q.呉の佐野さんに伺うと、やっぱり呉が先だと?」
「またそんなあほなこと言うて…厚かましいですね(笑)。」(「まいづる肉じゃがまつり実行委員会」会長・伊庭節子さん)

両者、1歩も譲りません。

この両者が主張してる東郷平八郎説が…

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肉じゃが誕生の都市伝説

肉じゃが - Wikipedia
誕生の経緯に関する都市伝説

広く流通している都市伝説として、1870年(明治3年)から1878年(明治11年)までイギリスのポーツマス市に留学していた東郷平八郎が留学先で食べたビーフシチューの味を非常に気に入り、日本へ帰国後に艦上食として作らせようとしたが、命じられた料理長はビーフシチューを知らず、東郷の話からイメージして醤油と砂糖を使って作ったのが始まりという話がある。しかし、当時の日本では既にビーフシチューやその変形であるハヤシライスが洋食屋での一般的メニューとして存在していた。また、牛肉を醤油と砂糖で煮るのは牛鍋や牛肉の大和煮と同様の手法であることなどから、代用したという説は、単なる都市伝説に過ぎない。この都市伝説は、舞鶴市が「肉じゃが発祥の地」として宣伝する際のジョークとしてプロモーションしていたことが始まりである。

都市伝説やったと。

ずっとそうやと思ってたから、これは、ちょっとショックですな。

これが都市伝説なら、舞鶴説も呉説も崩れるやん(笑)

まぁ、どっちでもええけど、個人的には横須賀が発祥かなって思う。

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海軍カレー

海軍カレー - Wikipedia
歴史

江戸時代後期から明治に西洋の食文化が日本へ入ると、カレーライスが紹介された。

当時、大日本帝国海軍軍人の病死の最大の原因となっていた脚気の原因が、軍内の栄養が偏った白米中心の食事であることを突き止めた海軍軍医の高木兼寛は、同盟関係にあったイギリス海軍を参考に、糧食の改善を行うことを試みた。

イギリスにおいても、元来カレーは米(ライス)と併せるものであり、パンを併せるのはあくまで軍隊食である。

日露戦争当時、主に農家出身の兵士たちに白米を食べさせることとなった海軍の横須賀鎮守府が、調理が手軽で肉と野菜の両方がとれるバランスのよい食事としてカレーライスを採用し、海軍当局が1908年発行の海軍割烹術参考書に掲載(後述)して普及させ、海軍内の脚気の解消に成功した。さらにその後の第一次世界大戦を通じ、海軍、陸軍ともにその普及に努めた。また、この段階でカレーライスに牛乳が付いたとされる。

材料のうち、調味料を醤油と砂糖に変えると、そのまま「肉じゃが」になる。そのため補給の面でも具合がよく、それも軍隊食として普及した理由である。肉は主に牛肉で、第二次世界大戦時には食糧事情の変化で豚肉も使われた。

現在も海上自衛隊では、毎週金曜日の昼はカレーライスを食べる習慣になっている。長い海上勤務では外の景色は殆ど変わらず、交代勤務で曜日感覚が薄れることから、同じ曜日に同じメニューを食べることで感覚を呼び戻すためでもある。

ただし、金曜日にカレーライスを出すようになったのは、週休2日制の導入以後である[注 2]。それ以前は土曜日が午前中だけの半日勤務(いわゆる半ドン)であったので、給養員も午後には業務を終えての上陸・外出等に対応するため、土曜日の昼食をカレーにして調理の準備や後片付けの時間を短縮し、また上陸しない人員のための加給食確保の手配を行なっていた。

材料が同じで調味料が違うだけの海軍カレーの発祥の地が横須賀なら、肉じゃがも横須賀で生まれたんちゃう?

カレーばっかりで飽きたか、何かの拍子で醤油が入ってもうたとか、色々考えられるけど、カレーの材料がありゃ、肉じゃがはつくれるんやし、カレーから派生したって考えるのが自然やと思うけど。

何にしても、肉じゃがにしろカレーにしろ、発明したのは海軍で間違いないわけで、こんな美味いもんを発明してくれた海軍に感謝ですな。


海軍肉じゃが物語―ルーツ発掘者が語る海軍食文化史











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