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『妻が願った最期の「七日間」』 妻を看取った71歳男性の新聞投書に反響

これは泣ける(涙)

「妻が願った最期の『七日間』」の最後の7日目しか叶わんかったみたいやけど、そういう最期を迎えられたのは幸せやったやろな。

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「一日目には台所に立って」 妻を看取った71歳男性の新聞投書に反響…「泣いた」「自分もこんな夫婦に」

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180317-00000001-jct-soci
神奈川県在住のパート勤務の男性(71)が朝日新聞の「声」欄に寄せた投書が感動的だと、ツイッター上で反響を集めている。

「妻が願った最期の『七日間』」。投書は、2018年3月9日付朝刊に載り、こんなタイトルが付いていた。

■最後の「七日間」でしたかったことを詩に残す

投書によると、1月中旬に亡くなった男性の妻は、最後の「七日間」にしたかったことを1編の詩につづっていた。詩を書いたノートが、入院した病院のベッドの枕元にあったそうだ。

妻は、病院から抜け出して最後の元気な時間がほしいと神様に嘆願し、こう願い事を書いた。

「一日目には台所に立って 料理をいっぱい作りたい あなたが好きな餃子(ぎょうざ)や肉味噌(みそ) カレーもシチューも冷凍しておくわ」

二日目から六日目は、愛犬を連れて夫と思い出の箱根にドライブしたり、友達と女子会でカラオケに行ったりしたいと願った。そして、最後の七日目には、夫との時間を大切にするつもりだと明かす。

「あなたと二人きり 静かに部屋で過ごしましょ 大塚博堂のCDかけて ふたりの長いお話しましょう」

夫に手を執られて静かにこの世を去る――詩の最後の部分は、願いがかなった。それ以外はかなわなかったというが、男性は投書の最後に、「2人の52年、ありがとう」と妻に呼びかけている。

52年間の積み重ねがこういう最期を迎えさせてくれたんやろな。

ちょっと早い最期やけど、こういう最期が迎えられる人生は、幸せな人生やったと思う。

奥さんの年齢が分からんけど、旦那さんの年齢からして…

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愛と死をみつめて

愛と死をみつめて - Wikipedia
愛と死をみつめて』(あいとしをみつめて)は、大学生河野實(マコ、1941年8月8日 – )と、軟骨肉腫に冒され21年の生涯を閉じた大島 みち子(ミコ、1942年2月3日 – 1963年8月7日)との、3年間に及ぶ文通を書籍化したものである。

1963年(昭和38年)12月25日、大和書房より刊行された。本書は160万部を売り上げる大ヒットを記録。また、1964年の年間ベストセラーの総合1位を記録した。

関連本として、大島著の『若きいのちの日記』や河野著の『佐智子の播州平野』も出版された。実際に交わされた手紙等をもとにした往復書簡集ではあるが、『世界の中心で、愛をさけぶ』や『いま、会いにゆきます』等の純愛小説の先駆け的存在であったといえる。ラジオドラマ・テレビドラマ・レコード・映画化された。

難病で死に別れる恋人をテーマにした純愛映画としてはアカデミー作曲賞、ゴールデングローブ賞を受賞した1970年公開のアメリカ映画「ある愛の詩」が有名であるが、それより6年先駆けて公開されている。

あらすじ

兵庫県立西脇高等学校に通うミコ(大島みち子)は、顔に軟骨肉腫ができる難病に冒されていた。阪大病院に入院した際、同じ病棟で長野県出身の浪人生マコ(河野実)と出会い、互いに18歳のタイガース・ファン同士で意気投合し、文通を始める。

その後、ミコが京都の同志社大学、マコが東京の中央大学へ進学してからも文通は途切れず、ミコの病気が再発して再入院した後も、マコは夏休みに大阪駅ホームのビール売りのアルバイトを続けてミコを励ます。夏休みが終わって、東京に戻ったマコとの文通が闘病生活の大きな支えになっていく。マコはその後もアルバイトをして長距離電話で励ましたり、旅費を工面して阪大病院を訪れるなどし、2人の愛は深まるばかり。

しかしミコは手術で顔の半分を失い、さらに病気は悪化していく。そして、マコの22歳の誕生日の前日に、自らのメモリアルデーを刻んで、この世を去って逝く。

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オイラも映画版は観た事あるけど、この「愛と死を見つめて」には、かなり影響されてるやろな。

この「愛と死を見つめて」の原作の「若きいのちの日記」に…

病院の外に健康な日を三日ください。

一週間とは欲ばりません、ただの三日でよろしいから

病院の外に健康な日がいただきたい

一日目、私はとんで故郷(ふるさと)に帰りましょう。

そして、お爺(じい)ちゃんの肩をたたいてあげたい。

母と台所に立ちましょう。

父に熱燗(あつかん)を一本つけて、

おいしいサラダを作って、楽しい食卓を囲みましょう。

そのことのために一日がいただきたい

二日目、私はとんであなたのところへ行きたい。

あなたと遊びたいなんていいません。

お部屋のお掃除をしてあげて、

ワイシャツにアイロンをかけてあげて

おいしい料理を作ってあげたいの。

そのかわりお別れの時、優しくキスしてね。

三日目、私は一人ぽっちで思い出と遊びましょう。

そして、静かに一日が過ぎたら、

三日間の健康をありがとうと、

笑って永遠の眠りにつくでしょう。

って一文があるんやけど、それと同じやもんな。

自分の死期が近づいたら、旦那さんに言おうと思ってたんやろな。

ただ、こういう最期を迎えられた方は幸せやったやろうけど、遺された方は…

かなりキツいやろうけど、奥さんの分も残りの人生を幸せに過ごして欲しいもんです。

何にしても、良い話を聞かせてくれてありがとうございました。

涙腺が決壊したけど…

謹んでご冥福をお祈り致します。

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続報

『妻が願った最期の「七日間」』 宮本英司さんと容子さん夫婦の物語 闘病中に始まった「交換日記」
先月の投書だけでも泣けたのに、中身を知ると余計に泣ける(涙) でも、先月も書いたけど、やっぱり幸せな夫婦やなと思うな。


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