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ノーベル医学・生理学賞に本庶佑・京大特別教授 研究結果を基に開発された「オプジーボ」が脚光を浴びる

研究内容はいまいちよう分からんけど、「オプジーボ」が凄い薬やってのはよく分かる。

何っちゅうても、余命宣告された人が「オプジーボ」で完治した人が続々と出てるんやからなぁ。

そりゃ「ノーベル賞」取るわ。

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研究成果を基にした「オプジーボ」、副作用少なく多くのがんに効果 ノーベル医学・生理学賞の本庶佑氏

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181001-00000595-san-sctch
本庶佑氏の研究成果を基に開発されたがん治療薬「オプジーボ」。従来の抗がん剤とは全く異なるメカニズムが特徴で、有効性が高く副作用も少ない。多くの種類のがんに効く利点もあり、がん治療に革命をもたらす新薬として脚光を浴びている。

これまでの抗がん剤は、化学物質でがん細胞の分裂を阻害して増殖を抑える薬や、ホルモンの働きで抑える薬、細胞の特定のタンパク質を狙って攻撃する分子標的薬の3つに大別される。これらのほとんどは、がん細胞を直接攻撃するタイプの薬だ。

これに対してオプジーボは、人の体が本来持っている免疫力を強めることで、がん細胞をやっつける。がんを攻撃するT細胞という免疫細胞の表面には、免疫を抑えるブレーキ役の「PD-1」というタンパク質がある。オプジーボはこの分子に結合し、その働きを阻害することでブレーキを外し、T細胞がきちんとがんを攻撃できるようにする仕組みだ。

このタイプの薬は免疫を監視(チェック)する分子の働きを妨げることから、「免疫チェックポイント阻害薬」と呼ばれる。平成18年に始まったオプジーボの臨床試験では、驚くべき効果が明らかになった。

皮膚がんの一種で治療が非常に難しい悪性黒色腫や肺がんなどを対象にした米国の治験で、進行がん患者への有効性を確認。また悪性黒色腫を対象に既存の抗がん剤と比較した治験では、抗がん剤を使った患者は15カ月後の生存率が20%に低下したのに対し、オプジーボの患者は70%の生存率を維持し、顕著な効果を示した。

オプジーボの特徴はメカニズムだけでなく、効果が長続きすることだ。従来の抗がん剤は最初は効いていても、使っている途中で効きにくくなり、転移や再発をしてしまうことが多い。これに対しオプジーボは、効く人には最初から効くことが多いほか、途中から効果が出たり、使用を止めても効果が続いたりするケースがある。

免疫チェックポイント阻害薬の臨床研究に長く携わる国立がん研究センター中央病院の北野滋久医師は「オプジーボを投与した進行悪性黒色腫患者の約3割は5年以上の長期間、生存している。これまでの常識では考えられないことだ。従来の抗がん剤では全身にがんが転移したり、再発したりした患者が治癒するのは極めて困難だが、治る人が出てくるかもしれないとの期待を抱かせる薬だ」と話す。

多くのがんに効果があるのも特徴だ。現在承認されている適応症は悪性黒色腫、非小細胞肺がん、腎細胞がん、頭頸部がん、胃がんなど7種類。さらに食道、卵巣など10種類以上のがんで臨床試験が行われている。

免疫を強める働きがあるため、副作用として自己免疫疾患のような症状が出ることがある。だが頻度は低く、脱毛やだるさなどが生じる既存の抗がん剤と比べて症状は軽いことが多い。

免疫チェックポイント阻害薬は、「CTLA-4」という別のブレーキ役のタンパク質を抑える薬が米国で開発され、先行して商品化された。ただ、単独では悪性黒色腫しか効果がなく、適応症の広さや副作用の少なさでオプジーボの方が評価は高い。

北野医師は「オプジーボは幅広い種類のがんに効く可能性がある。既に悪性黒色腫では患者に最初に投与する第一選択薬になっており、肺がんなど複数のがんでも標準的な治療法になっている」と話す。

「オプジーボ」に関しては…

末期の乳がんを患い他の臓器にもがんが転移していた女性患者が「免疫療法」で完治 世界初の試験結果発表
末期の乳がんで他の臓器にも転移してるのに完治したんか。 がんの「免疫療法」は、今何かと話題やけど、これだけ効くなら、近い将来、人類はがんを克服する事になるかもしれんな。

ここでも取り上げたけど、劇的に効くのに副作用が少ない。

難点は1年間で3500万円っちゅう料金だけやけど、これは研究とは関係ないからなぁ。

こんな革命的な新薬の基をつくりゃ、ノーベル賞も当然ですな。

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本庶佑・京大特別教授のプロフィール

本庶佑 - Wikipedia

本庶 佑(ほんじょ たすく、1942年1月27日 – )は、日本の医師、医学者(医化学・分子免疫学)。勲等は文化勲章。学位は医学博士(京都大学・1975年)。京都大学名誉教授・高等研究院特別教授、公益財団法人先端医療振興財団理事長、ふじのくに地域医療支援センター理事長、静岡県公立大学法人顧問、日本学士院会員、文化功労者。

京都大学医学部副手、東京大学医学部助手、大阪大学医学部教授、京都大学医学部教授、京都大学大学院医学研究科教授、京都大学大学院医学研究科研究科長、京都大学医学部学部長、内閣府総合科学技術会議議員、静岡県公立大学法人理事長(第3代)などを歴任した。2018年ノーベル生理学・医学賞受賞。

生い立ち
1942年、京都府京都市にて生まれた。医師である父の仕事の都合により、山口県宇部市にて育った。山口県立宇部高等学校卒業後、1960年、京都大学医学部医学科に入学、1966年には京都大学医学部医学科卒業。

大学生時代は、同期の中西重忠らと知り合う。また、かつて父の同僚であった柴谷篤弘の著書を読んで感銘を受け、柴谷に会いにいったこともあったという。父や柴谷らのアドバイスを受け、早石修の門下となる。1966年、京都大学医学部医学科を卒業し、京都大学医学部附属病院にてインターンに従事する。

1967年、京都大学大学院の医学研究科生理系専攻に進学した。博士課程では、早石の下にいた西塚泰美より指導を受けた。また、大学院在籍中に医師国家試験に合格している。1971年、京都大学大学院の医学研究科を修了した。なお、1975年に京都大学より医学博士号を取得している。

学術的な活動
大学院修了後、京都大学医学部にて副手となる。1974年には、東京大学医学部の助手を務めた。その間、カーネギー研究所にて発生学部門の客員研究員を兼任したり、アメリカ国立衛生研究所傘下の国立小児保健発達研究所にて分子遺伝学研究室の客員研究員を兼任したりするなど、アメリカ合衆国の研究機関の客員としても活動した。

1979年、大阪大学の医学部にて教授に就任した。また、1982年より京都大学医学部の教授も併任し、1984年から京都大学医学部教授が本務となる。京都大学では遺伝子実験施設の施設長なども務めた。また、1989年から1998年にかけて、弘前大学の医学部の教授も併任していた。1995年より、京都大学大学院の医学研究科教授が本務となり、研究科長や学部長などを歴任した。2005年より、京都大学大学院の医学研究科にて特任教授に就任し、2006年には同研究科の客員教授となった。2017年5月1日からは、京都大学の高等研究院にて特別教授を務めることになった。

若かりし頃の本庶佑・京大特別教授

若かりし頃はかなりのイケメンやったんですな。

何にしても、本庶佑・京大特別教授、ノーベル医学・生理学賞受賞おめでとうございます。

あとは、「オプジーボ」が庶民が使える薬になる事を願っております。











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