湯川遥菜氏と後藤健二氏の追悼集会を三条河原でやるらしい…今日この頃。
┐(´~`)┌ヤレヤレ
ほんま、行動力のあるバカってのは始末に負えんな。
三条河原で追悼集会
なお、京都の追悼集会の詳細は下記のとおりです。
湯川遥菜さん、後藤健二さんの追悼集会京都
場所:京都市・三条大橋(河川敷)
日時:2月8日(日)午後5時~7時
※スタンディングと持ち回りで皆さんの思いを声にしてもらいます。ぜひ、思いを込めたプラカードを持参しご参集ください。
— ANTIFA京都 (@AntifaKyoto) 2015, 2月 3
三条河原ってどんな場所か知っとんのかね。
こんなもんwikipediaを見るまでもないけど…
処刑場として
近隣の川岸はかつて「三条河原」と呼ばれ、処刑や処刑後の晒し首が行われた。ここで処刑・晒し首にされた著名な人物を挙げる。
・石川五右衛門 – 安土桃山時代の著名な盗賊。1594年(文禄3年)8月25日、釜茹での刑に処せられた。
・豊臣秀次と、その妻子側室侍女 – 1595年(文禄4年)7月、豊臣秀吉より謀反の疑いをかけられ高野山で切腹した後、三条河原へ豊臣秀次の首が運ばれた。首が据えられた前で妻子侍女など39名が処刑され、秀次の首と共に1か所に埋められ見せしめの塚が作られた。この塚は角倉了以の高瀬川開削時に塚と石柱が見つかり、現在も瑞泉寺の境内にある。
・石田三成 – 安土桃山時代の武将。1600年の関ヶ原の戦いに敗れ、捕らえられ六条河原で斬首刑となり、三条河原で晒し首にされた。
・近藤勇 – 新撰組局長。1868年(慶応4年)4月25日、板橋刑場(武蔵国板橋宿付近)で刑に処せられたあと、首が運ばれ三条河原で晒し首となった。
罪人を晒し首にしたとこやで。
モノを知らんのか意図的なんか知らんけど、テロリストに斬首された2人の追悼集会をやる場所が三条河原って何やねん。
まぁ、反戦集会とか反原発集会とかしょっちゅうやっとるらしいから、いつもの調子で、これも「アベちゃんが殺した」ってやるつもりなんやろうな。
ほんま左に巻いてる生き物ってのは気持ち悪い。
利用できるもんは何でも利用する。
特に子供とか、こういう人の心を揺さぶるような人は容赦なく利用する。
それで、自分の主張に「正当性」を持たせる。
ほんま、バカは死なな治らんようですな。
それにしても、こんなバカにも集会の自由はあるし、政権批判も自由にできるし、ほんま日本って国はええ国ですな。
そんな「自由」を甘受しながら、日本を否定する。
「歴史認識」とやらでも、あっちよりの意見やしのぉ。
ほんま、何なんやろね。
で、ムダに行動力だけはあるから、行ったらあかんとこに行ったりする。
で、死んだら「政府が悪い」。
こんなバカどもに利用されて、後藤健二氏も不憫ですな。
オカンもオカンでアレな人やし…
兄貴と嫁はんは至って普通っちゅうか、立派な振る舞いやったのになぁ。
コメントなんかも立派やったし。
何で、オカンがああなんやろな。
まぁ、子供置いて出て行ったって話もあるし、あのオカンに育てられたわけやないんやろな。
何にしても、あのオカンも含めて、左に巻いてるヤツらを駆除する方法が知りたいもんです。
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