弥明後日(やのあさって)は、京都より東にしか存在せん…今日この頃。
(=⌒ー⌒=)
メールが52通やったから断定は出来んけど、おおむね
これで書いた通りみたいやな。
一部、明後日の次が弥明後日(やのあさって)で、その次が明明後日(しあさって)。
または、明明後日の次が弥明後日のとこもあったけど、この狭い日本で「3日後」の言い方がこんだけ違うのも、どないやねんって話です(笑)
まぁ、歴史的に京都から西は大和朝廷の文化圏で、関東から東も別の文化圏があったんやろ。
「新説!?日本ミステリー」っちゅう番組で、関東に「日本王国」があったっちゅうのをやってたけど、この「しあさって」を見れば、そういうのもあったんかもしれんな。
で、道路が整備されて行き来が出来るようになって…
今でも、東京の文化に右にならえっちゅう傾向があるけど、昔から都の文化に右にならえっちゅう風習があったんやろ。
都会で流行ってることをしたいのは、今も昔も変らんと。
で、「やのあさって」が「しあさって」に駆逐されて行く時に、頑なに守った人と流行に合わせる人とがおって、ごちゃごちゃになったから、その辺の区別が分からんようになったんちゃうか。
そうなると「ささって」なんやけど…
どうも、三重と岐阜の一部だけみたいやけど、ちょっと調べてみたら本来は「ささって」とちゃうかと思い出した。
来月の次は再来月、来年の次は再来年ってことを考えれば、明後日の次は再明後日。
ほんまは、明日の次が再明日なんやろうけど、全国共通の「明後日」って言葉が既にあるから、後から「再明後日」って言葉が出来たんやろな。
そう考えれば、読みは「さあさって」やから、これが音便化して「ささって」になったって考える方が自然やな。
となると「しあさって」は…
正しくは、「さいあさって」
オイラ、古文は苦手やから詳しくはないねんけど、確か二重母音は変化するのを習った記憶が…
auはouになるっちゅうヤツな。
平安時代にゃ、その辺の文法も出来てたみたいやから、誰かがその文法を使って「ささって」はダサイから「しあさって」にしよっちゅうて使い始めたんちゃうかな。
個人的な妄想やけど…
まぁ、現代でも「半端じゃない」が「ぱねぇ」になったりしとるし、若者がそうやって言葉を変えるのは、今も昔もあったやろ。
そうやって「音」によって変化したって考えた方が辻褄が合う。
どう読んだって「明明後日」で「しあさって」とは読めんからな。
それを言うと「明後日」も「明日去って後の日」を縮めて「明後日」やのに、読みは「明日去って」やからなぁ。
後から出来た京都発の「しあさって」が全国に広まって、「ささって」を駆逐して、京都から遠くなるほど、「やのあさって」が頑張ってるっちゅうことか。
まぁ、英語なんか、明後日すら「day after tomorrow」で一言で言う言葉がない。
英語で、一言で言えるのは、昨日(yesterday)、今日(today)、明日(tomorrow)までやからなぁ。
それだけ、日本の方が語彙力が上っちゅうか、センスが上ってことやな(笑)
とにかく、日本語は奥が深いって事で。
それにしても、あさって、しあさっても疑問やったんやけど、1人、2人、3人、4人…も疑問やねんなぁ。
「ひとり」、「ふたり」の次からは「さんにん」「よにん」やろ。
3人からは、和語やなくなっとる。
ひ、ふ、み、よ、いつ、む…なんやから、3人は「みたり」やと思うねんけど…
ちゅうか、何で1人は「ひたり」やないんや?
そのくせ、ひとつ、ふたつ、みっつ、よっつ…は、ちゃんと和語で統一されとるしなぁ。
「とお」は、「とおつ」って言わんけど、10日は「とおか」って言うし…
しかも、これ「ひとつ」と「ふたつ」はハ行、「みっつ」と「むっつ」はマ行、「よっつ」と「やっつ」はヤ行って、倍の組み合わせは、始まりの子音が共通っちゅうのも、何か法則っちゅうか、意味がありそうやしな。
「いつつ」と「とお」にはこの法則が当てはまらんけど…
何か、「とお」に「つ」がつかんのは、「いつつ」で2回「つ」があるからっちゅう説があるとかないとか。
どっかに、こういう謎に答えてくれる国語学者はおらんやろか?
何にしても、「日本語の乱れ」をどうこう言う人がおるけど、これだけみても「乱れ」が主流になっとるんやから、日本語は昔から乱れながら進化してきたって考えた方がよさそうですわ。
ほんま日本人やのに、日本語をよく知らん自分にビックリな今日この頃です。
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