警察に「渡せ」って言われても、それを断って家族に直接渡しに行くってのがカッコ良すぎる。
ちゅうか、第一報では「警察が保護」やったし、続報では「成人男性と一緒」やったから、警察が手柄を横取りしようとしたけど断られたから、そういう情報を流してたんやろな。
「子どもは上に上がると思った」 2歳児発見のスゴ腕捜索ボランティア
以下、会見の要旨:
早朝から、男児の名前を呼びながら、山を登って探した。林道上がって。
すると、12~3m離れた場所から「おいちゃん、ここ!」と声がした。
男児が沢の真ん中、苔むした岩の上で座っていた。
一瞬、人間とは思わなかったが、確かに探していた男児で、心臓が止まりそうな思いだった。
(男児の様子は?)
下半身は何もつけていない、足を岩の前の水がたまったところに置いて座っていた。
名前を呼んだら「ハイ」と。
袋からアメを出して渡そうとしたら、男児がアメの袋をバッと取って、自分で手で破ろうとした。2歳の手では開かずに私が手伝った。
それをすぐに口に入れてガリガリかんだ。
その様子を見て「これは大丈夫だ!」と思った。
(現地には)14日の午後に来た。
(どんな思いで来たのか?)
大分県で2歳女児が行方不明になって翌朝に見つけた経緯があった。
子どもだから下に向かって下ることはない、上に上がるのが子どもの習性と思っていた。
それがピッタリ当たった。男児が声をかけてくれた。
不思議なもので、子どもは上に上がる。
上がったら沢の真ん中で、座っていた。
きのう、男児のお母さんやおばあちゃんと話した。
別れた場所を聞いたら、絶対この道を子どもが上に上がっている、と思った。
自分は、昼飯も水も持ってきている。
人の命は重い。高齢者でも若くても、命はその人しかもっていないもの。私がお手伝いできるなら、させてもらいたい。
男児から「おいちゃん、ここ!」と言われた時には、うれしかった。小さな命が助かって。
家族やおじいちゃんに、見つけたら必ず抱きしめて直に渡す、と約束していた。
発見後、警察が渡せ、と言ったが「だめです!」と言った。
家族に手渡しすると約束したから。
おまわりさんに罰を受けても手渡しで渡そうと思った。
(母親の様子は?)
もうお母さん、声が出なかった。
バスタオルとって子どもの顔を見せたときの、お母さんのうれしい顔は一生離れない。
警察よりも、はるかにこの尾畠さんの方が信用できるな。
このやり取りの詳しい話が…
「大臣が来ようが関係ない。罰を受けても直に家族にお渡ししたかった」行方不明2歳児を発見した男性が会見
家族に対し「私が抱きしめて直にお渡しします」と約束していたという尾畠さん。「口約束も契約。警察が“渡してください“と来たけど、“イヤです“と言った。言うたことは守る。なんぼ警察が来ようが、大臣が来ようが関係ない。理稀ちゃんの顔を見せたときは、お母さんはもう声が出なかったな。あの嬉しそうな顔は、一生焼き付いて離れんだろうな」と振り返り、「人の命って重いから、何かお手伝いさせてもらえいたいなと思って参加した。尊い命が助かってよかった。“おいちゃん、ここ“と言った時は嬉しかった」と涙を浮かべていた。
「口約束も契約」やと。
罰を受けても、そうしようと思ったのが凄いな。
それにしても、78歳やのにわざわざ大分から、よう捜索ボランティアに来たな。
「わざわざじゃない。言葉が通じるから私は日本中どこでも行きます」
大分県から捜索に来た70代の男性:「(Q.お住まいは?)大分県です」「(Q.何故、大島に?)理稀くんを探しに来たんです。幼い子どもの命を助けてあげたいと思って」「(Q.大分県からわざわざ?)わざわざじゃないですよ。日本人だから。言葉が通じるから私は日本中どこでも行きます」
何か感動して涙が出てきた。
こんな人がおるんやな。
捜索ボランティアの尾畠春夫さんは「師匠」と呼ばれていた
ボランティアで由布岳の登山道の整備大分県別府市で鮮魚店を営んでいた尾畠さん。40歳で登山を始め、58歳で北アルプス55山を単独縦走した。
尾畠さんはその頃から、ボランティアで由布岳の登山道の整備を始めている。月に7~8回、30~40キロの材料を担いで登り、崩れかかった登山道の整備をしたり、案内板を設置したりしたという。
徒歩で日本列島を縦断
66歳で尾畠さんは鮮魚店を引退し、鹿児島県の佐多岬から北海道の宗谷岬まで日本列島を徒歩で横断する旅に出た。
2006年の4月1日に出発、7月1日に全行程3250キロを歩き、尾畠さんは無事ゴールを遂げている。毎日、朝夕に孫の声を電話で聞くことを励みにしていたという。
このチャレンジについて、尾畠さんは朝日新聞の取材に「生まれた日本を縦に歩いてみたかったのと、体力がどのくらい持つのか、動機は単純じゃ」と語っている。
ゴール後、同級生たちに祝福された尾畠さんは「目標を持ってやれば、出来るものだ」と笑顔だった。
東日本大震災・南三陸町でボランティアの「師匠」と呼ばれる
2011年の東日本大震災では、3月から宮城県南三陸町でボランティアとして活動していた。町から依頼され、被災地で、人々が大切にしていた物を拾い集める「思い出探し隊」の隊長を務めた。
軽自動車で3日かけて被災地へ。日本列島縦断の旅で、テントを干していた南三陸町で親切にされた人を訪ねたことがきっかけとなったという。
2004年の新潟県中越地震の被災地でもボランティア活動に参加していた尾畠さん、若いボランティアからは「師匠」と呼ばれていたという。その後も大分と車で往復しながら計500日間支援に当たったという。
熊本地震でもボランティアに参加
熊本地震では、熊本県益城町でボランティア活動をしていた。既にこの時には「ボランティア歴25年」になっていた。
町が設置したボランティアセンターに「スコップやヘルメットがもっと必要」などと用具などについて助言。職員が「私たちにも初めての経験。言われて気付いたことがたくさんあって助かります」と話していたことが報じられている。
夢は100歳での祖母山登頂
尾畠さんは、夢は「100歳での祖母山登頂」だと答えている。ボランティアは「体力の続く限り続けたい」という。
大分の人やのに、東日本大震災でも中越地震でもボランティアに行ってるんか。
ほんま、凄い人がおるもんです。
何にしても、ほんま無事に発見できた良かったです。
捜索に関わったみなさんご苦労様でした。
コメント
この人のお陰で見つかったんだから。渡せなんて 言い方酷い。この人が見つけてくれなかったら今日見つかったかわからないんじゃない?警察同行しても親に引き渡しても問題ないじゃない。警察はまるで自分達が見つけたようにやろうと思ってたの?手柄を横取りしようとしてたわけですか?大人の癖にやり口汚い。
もともと警察なんてこんなもん。
山口の警察は、しばらく良い笑いもんだな。
警察官ってこの程度の人間の集まりなのですね。
世間を知らない警察バカと思われても当然でしょう。
お疲れ様ありがとうございましたと発見時に言ったのかな。
お母さんの所まで援護させていただきますと言えばよかったのに。