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「男鹿のナマハゲ」「能登のアマメハギ」「宮古島のパーントゥ」など10件の「来訪神」がユネスコの無形文化遺産に登録

10件の「来訪神」がユネスコの無形文化遺産に登録されたって事やけど、「ナマハゲ」と「パーントゥ」しか知らんわ(汗)

しかも、2009年に既に登録されてるのもあるし。

って事は、登録されたの以外にも、まだまだ全国各地に「来訪神」ってあるんちゃう?

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ナマハゲ・アマメハギ…「来訪神」無形文化遺産に決定

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https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181129-00000063-asahi-soci
ユネスコ(国連教育科学文化機関)は29日、日本政府提案の「来訪神 仮面・仮装の神々」を無形文化遺産に登録すると決めた。モーリシャスで開かれた政府間委員会で採択された。

「男鹿のナマハゲ」(秋田県男鹿市)や「能登のアマメハギ」(石川県輪島市・能登町)、「宮古島のパーントゥ」(沖縄県宮古島市)など東北から沖縄まで8県の10の行事。2009年に登録された「甑島(こしきじま)のトシドン」(鹿児島県薩摩川内市)とあわせて拡大させる形での登録となる。国内の登録数は21件のまま。

仮面をかぶり仮装した異形の姿をした者が正月などの節目に、「来訪神」として家や集落を訪れ、怠け者を戒めたり幸福をもたらしたりする年中行事。政府は推薦書で、各地域の社会や歴史から形作られた創造性豊かな神の姿を表現したものと説明し、「登録されれば文化の多様性の尊重を進める」と推していた。

ユネスコの世界遺産がピラミッドや姫路城のように建物や遺跡、自然を登録するのに対し、無形文化遺産は芸能や祭り、社会的習慣や伝統工芸技術などが対象。国内からは能楽や歌舞伎、和食や和紙などが登録されている。(上田真由美)

■無形文化遺産に登録される「来訪神」

・男鹿のナマハゲ(秋田県男鹿市)

・吉浜のスネカ(岩手県大船渡市)

・米川の水かぶり(宮城県登米市)

・遊佐の小正月行事(山形県遊佐町)

・能登のアマメハギ(石川県輪島市・能登町)

・見島のカセドリ(佐賀市)

・甑島のトシドン(鹿児島県薩摩川内市)※

・薩摩硫黄島のメンドン(同県三島村)

・悪石島のボゼ(同県十島村)

・宮古島のパーントゥ(沖縄県宮古島市)

※は2009年に登録済み

映像ニュースはコチラ

https://headlines.yahoo.co.jp/videonews/fnn?a=20181129-00406595-fnn-soci

ほとんど知らんので、どんなもんか調べてみると…

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ユネスコの無形文化遺産に登録された「来訪神」

男鹿のナマハゲ(秋田県男鹿市)

なまはげ - Wikipedia

なまはげは、男鹿半島周辺で行われてきた年中行事、あるいはその行事において、仮面をつけ藁の衣装をまとった神の使い(来訪神)を指す。

秋田県全体の3%に満たない男鹿半島の、年一回しかない「なまはげ」は今や、秋田県全体の記号として用いられるまでの知名度を持つようになっている。しかし、男鹿半島での伝統は、地元自治体が補助金を出して下支えしなくてはならないほどの衰退傾向を見せている。また、本来の「来訪神」と無関係な上、異形を誇張しただけの「鬼」化した多数の平面像ならびに立体像が乱造され、あるいはキャラクターとしてデフォルメされたグッズが氾濫し、顕著に「観光」化されている。

概要
秋田県の男鹿半島(男鹿市)、および、その基部(山本郡三種町・潟上市)の一部においてみられる伝統的な民俗行事またはその行事を執り行う者の様相を指す。「男鹿(おが)のナマハゲ」として、国の重要無形民俗文化財に指定されている。異形の仮面をつけ、藁などで作った衣装をまとった「なまはげ」が、家々を巡って厄払いをしたり、怠け者を諭したりする。

なまはげと同様の行事は日本各地に広く分布し、男鹿半島からそれらに伝播したとの証拠も無い。しかし、何故そのようなことになったのかは不明だが、なまはげだけが圧倒的な知名度を得て、秋田県の記号になるまでに至った。その訴求力の大きさから、秋田県の観光PRに用いられるのは勿論、秋田県に関連する私企業でもモチーフにされたり、秋田県関連の物販・飲食店でのオーナメントや余興の1つとされたりして頻繁に用いられている。

吉浜のスネカ(岩手県大船渡市)

吉浜のスネカ - Wikipedia

吉浜のスネカ(よしはまのすねか)は、岩手県大船渡市三陸町吉浜(旧・気仙郡三陸町吉浜)で、毎年1月15日に行われる恒例行事。数年前までは地元青年団や有志が行っていたが、後継者不足を懸念して保存会が結成され、2004年(平成16年)2月16日には重要無形民俗文化財に指定された。

概要
始まりは江戸時代とも言われているが定かではない。男鹿のなまはげと共通点があり、鬼に似たお面をかぶった役者が各家々をまわり、怠けている者への戒めを行う。お面は北上の鬼剣舞のような立派なものではなく、イヌのような鬼のようなといった独特の顔をしており、昔は桜の木の皮などで作ったらしい。衣装はなまはげと似た格好だが、地元特産のアワビの殻が付いており、歩く度に『ガラガラ、ガラガラ』と音を立てる。これがスネカの訪問の合図となり、子供たちの恐怖心をあおる。

囲炉裏やコタツに入ってばかりいて怠けて入る者の脛に付いた火の斑を剥ぎ取ってしまう、といった意味の「脛皮たくり」が「スネカ」の語源と言われている。同様に「脛かっちゃぎ」の略との説もある。また、厄祓いも兼ねているようだ。

米川の水かぶり(宮城県登米市)

米川の水かぶり
この行事は毎年2月の初午の日に五日町の男たちによって行われる火伏行事である。 宿の菅原家で藁のしめ縄を各自で作り、裸に藁で作った水かぶり装束を身に

この行事は毎年2月の初午の日に五日町の男子によって行われる奇祭である。

宿の菅原家で藁の五三(しめ)縄(なわ)を各自で作り、裸に三本巻き付け頭には藁の冠をかぶり顔に炭をぬった男たちは、一斉に宿を出て大慈寺の火伏せの神である秋葉山大権現に参拝、これで初めて神の使いに化身する。

次に山門を出て往古大慈寺のあった諏訪森の麓へ、ここでも祈願。国道346号(旧狼河原町場)に出てからは準備しているバケツの水を家々に掛けながら、火伏せを祈願して歩く。八幡神社、若草神社を参拝し二股川を越え中嶋地区や四十田地区の裏通りの家々に水を掛けながら火伏せを行う。

沿道に見学に訪れた人々は、水かぶりの男たちが身につけた藁を抜き、自分の家の屋根に上げて火伏せを祈願する。この男たちが家々を巡る前には、オカメとヒョットコの姿をした者二人が家々を回りご祝儀を頂く。

遊佐の小正月行事(山形県遊佐町)

アマハゲ - Wikipedia

アマハゲは、山形県飽海郡遊佐町吹浦の浦通り地区(女鹿、滝ノ浦、鳥崎)に伝わる小正月の伝統行事であり、遊佐の小正月行事という名称で1999年に重要無形民俗文化財に指定されている。

概要
現在は毎年1月に行われ日ごとに違う。1日に滝ノ浦、3日に女鹿、6日に烏崎の各集落で行われる。秋田県男鹿半島のなまはげによく似た民俗行事で、鬼の面をかぶったアマハゲが勤労を奨める。

能登のアマメハギ(石川県輪島市・能登町)

あまめはぎ - Wikipedia

あまめはぎは、石川県の輪島市や鳳珠郡能登町に伝わる伝統行事(妖怪)。能登のアマメハギという名称で1979年(昭和54年)重要無形民俗文化財に指定された。また伝承の途絶えていた新潟県村上市でも、2005年(平成17年)に保存会が発足し、行事が復活した(村上市の市指定無形民俗文化財[1])。2018年11月29日に「アマメハギ」、「男鹿のナマハゲ」(秋田県男鹿市)や「宮古島のパーントゥ」(沖縄県宮古島市)などを含めた8県の10の行事からなる「来訪神 仮面・仮装の神々」として、ユネスコの無形文化遺産に認定された。

概要
囲炉裏や火鉢に長くあたっているとできる火だこ(温熱性紅斑)のことをアマメと言い、怠け者の証しとされている。これを剥ぎ取る妖怪がアマメハギである。

類似の行事は日本各地に伝わっており特に日本海側に多く、秋田県男鹿のなまはげ、山形県遊佐町のアマハゲ、福井県のあっぽっしゃなどがある。

能登地方では、正月と小正月の1月6日・14日・20日に輪島市の各地区で、節分の日に能登町で行われ、若者や子供が仮面を被って家々を回る。農閑期の終わりを前に、農民を管理していた当時の役人が農民達の怠惰を戒める為に鬼のような形相で各戸を訪問してきたことがルーツとされている。

正月の1月6日に子供の行事として行われていた新潟県村上市の大栗田集落の「あまめはぎ」は、集落内に子供がいなくなり伝承が途絶えていたが、2005年(平成17年)9月に「村上市あまめはぎ保存会」が発足し、村上市内の小学生の参加を得て行事が復活した。

見島のカセドリ(佐賀市)

見島のカセドリ - Wikipedia

見島のカセドリ(みしまのカセドリ)は、佐賀市蓮池町の見島地区で小正月に行なわれる来訪神行事。

350年以上も伝わるといわれ、2002年2月20日に重要無形民俗文化財に指定されている。2016年には「来訪神:仮面・仮装の神々」のひとつとして国連教育科学文化機関(UNESCO)の無形文化遺産への登録が提案された。しかし、審査が先送りされ、2017年に再提案することが決定している。

概要
カセドリとは、神から使わされた雌雄のつがいのニワトリと考えられている。毎年2月の第二土曜日の夜、土地の独身男性2人が藁蓑に身をつつみ、手甲、脚絆、白い足袋、笠を身につけ、カセドリに扮する。

カセドリはまず熊野神社の拝殿に走り込み、先が細かく割られた長さ1.7メートルほどの竹を床に激しく打ちつける。続いてカセドリ一行は地区内の家々を順番に訪れ、その年の家内安全や五穀豊穣などの祈願のため、同様に竹の先で家の床を打ちつけて悪霊を払う。その後、家人が酒や茶などを振る舞い、カセドリは顔を伏せたままそれに応える。このときにカセドリの顔を見ると幸せになるといわれ、家人はカセドリに顔を上げさせようと、底の深い器を接待に用いる。

このように来訪神に扮した者が家々を訪れる民俗行事は日本各地に伝わっているが、見島のカセドリは北部九州での同様の行事として、日本人の民間信仰の理解の上で貴重なものとして注目されている。また、カセドリが竹で悪霊を祓う所作は他の類例がほとんどなく、地域的特色も豊かとされて地域の人々に親しまれている。

甑島のトシドン(鹿児島県薩摩川内市)

トシドン - Wikipedia

トシドンは、日本各地に伝わる年神(来訪神)。秋田県のナマハゲに似るとされ、鹿児島県薩摩川内市の下甑島に伝わるものが有名である。

一般的な伝承
トシドンは鬼のような顔の年神である。普段は天上界に住んで下界を眺めており、特に子供を好み、彼らの挙動を見ている。毎年、大晦日の夜になると山の上に降り立ち、首切れ馬に乗って鈴を鳴らしながら家々を回り、その年に悪さをした子供を懲らしめるく。そして歳餅(としもち)という餅を与え、去って行く。歳餅は人に一つ歳を取らせる餅といわれ、これを貰わないと歳を取ることができないといわれている。歳餅はお年玉の原型とされる。

トシドンはシュロの木の皮などで作った衣服をまとっており、ポリネシアの島々の祭礼を思わせる[7]。仮面を被って仮装した来訪神の祭礼は南九州の多くの地域に残っており、トシドンの他にはトイノカンサマ(屋久島、宮之浦)、トシトイドン(種子島、国上)、メン(末吉町熊野神社)、メンドン(山川町利永)、八朔メン(硫黄島、三島村)、メン(黒島、大里)などがある。

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薩摩硫黄島のメンドン(鹿児島県三島村)

薩摩硫黄島のメンドン 文化遺産オンライン
薩摩硫黄島のメンドンは,奇怪な容姿を有し,畏くも怖ろしいものとされており,八朔の行事日となる旧暦の8月1日,2日に現れ,人びとの邪気を追い祓う。1日の夕方,熊野神社前の広場で若者たちが輪になって太鼓踊りを演じていると,突如,拝殿...

薩摩硫黄島のメンドンは,奇怪な容姿を有し,畏くも怖ろしいものとされており,八朔の行事日となる旧暦の8月1日,2日に現れ,人びとの邪気を追い祓う。
1日の夕方,熊野神社前の広場で若者たちが輪になって太鼓踊りを演じていると,突如,拝殿奥から1体のメンドンが走り込んできて,踊り手の周囲を3周し,去っていく。これが終わると,次々とメンドンたちが走ってきては,踊りの邪魔や,飲食に興じる観客たちの中に分け入るなど,悪戯を始める。手には枝葉を携えており,これでしきりに叩く。叩かれると魔が祓われてよいという。こうして,メンドンらは神社を出たり入ったりしながら,せわしく駆け廻るが,翌日の夜中まで所かまわず出没,徘徊している。
翌2日には,叩き出しといって,島を一巡する太鼓踊りがある。このときメンドンは隊列の先頭につくことになっており,所定の場所に到着すると,揃って海に向かって悪いものを追い祓う。こうして,最後は神社に戻って締めの踊りをし,あとは花開きと称する直会となって,行事は終了する。

悪石島のボゼ(鹿児島県十島村)

ボゼ - Wikipedia

ボゼは、鹿児島県トカラ列島の悪石島に伝わる来訪神行事である。奇祭として知られている。

概要
ボゼは盆の終わりに現れるとされる仮面装束で、その出現理由には諸説あるが、盆行事の幕を引くことで、人々を死霊臭の漂う盆から新たな生の世界へ蘇らせる役目を持つと指摘する研究者もいる。また、盆時期には先祖の霊とともに悪霊も現世にやって来るので、その悪霊を追い払うものとする説もある。

かつてはトカラ列島の中之島にもボゼが現れたというが、現在ではボゼ祭りの風習は悪石島にだけ伝わっている。

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宮古島のパーントゥ(沖縄県宮古島市)

パーントゥ - Wikipedia

パーントゥは、沖縄県宮古島市の宮古島で行われる厄払いの伝統行事。仮面をつけた来訪神パーントゥが集落を回って厄をはらう。平良島尻と上野野原の2地区で行われているが、両地区で内容は異なっている。

1982年に「宮古のパーントゥ」として選択無形民俗文化財に選択され、1993年に「宮古島のパーントゥ」として重要無形民俗文化財に指定されている。また、2016年には「来訪神:仮面・仮装の神々」のひとつとして国連教育科学文化機関(UNESCO)の無形文化遺産への登録が提案されたが審査が先送りされ、2017年に再提案されている。

語源
「パーントゥ」は、お化けや鬼神を意味する[3]。宮古島の歴史について書かれた『宮古島庶民史』(稲村賢敷、1948年)には、「パーン(食む)+ピトゥ(人)」が訛化した言葉であるという説が述べられている。

どれもこれも子供を泣かす事がメインになってるけど、「幼児虐待」って言われんのな(笑)

何にしても、目出度いんかもしれんけど、ユネスコ絡みじゃ「徴用工」でもやられたし、「南京大虐殺」に「慰安婦」も残ってるわけで、あんまりユネスコを有難がらんと、いざとなったら分担金支払い拒否っていう姿勢も見せて欲しいもんです。











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