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縄文人と弥生人の違い 「宗教観(信仰心)」から考えてみた

縄文人と弥生人の話が意外に好評やった…今日この頃。
(=∩_∩=)

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m(_ _)m

ちゅうことで

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前回は、差別やら左巻きやらちょっとダークな話やったから、今回はダークじゃない話。

日本人の「宗教観」っちゅうか、「信仰心」を考えてみた。

日本人は「無宗教」って言われる割には信心深い。

特定宗教に違和感を覚えながらも自然や物に対する感謝や、神に対する信仰心は結構厚い。

その辺の元は、この縄文人と弥生人の変わり目に出来たと思う。

ということで、近々連載再開されるであろう日本神話の予備知識(予備知識になるのか?)として、その辺の話を。

前回、弥生人が「渡来人」「帰化人」っちゅう説を否定した理由なんやけど、個人的に無理があると思ってるねん。

単純に朝鮮半島や中国大陸の人間と同祖って説を取りたくないだけもしれんけど。
“r(^_^;)ポリポリ

まぁ、その辺は「明確」になってないので、個人的な妄想でも構わんやろ。

ちゅうか、あの時代に朝鮮半島(朝鮮半島とは限らんが)から侵略出来る程大量に人間が来ることは、技術的に考え難い。

ちゅうか、侵略するなら陸伝いやろうから、来てたとしても戦争に負けて土地を追われた人間って考える方が辻褄が合う。

稲作文化の流入は、渡来人がもたらしたと考えられるけど、弥生人=渡来人、帰化人っちゅうのは考え難い。

※これも、個人的には自然発生的に思いついた…と思いたい。

それに弥生人=渡来人、帰化人説は明治時代に天皇を神格化する時に用いられた説で、「我々大和民族は元々高度な文明を持った民族で、野蛮な石器時代の流れはない」っちゅう話にしたいだけやったんやろ。

じゃ、弥生人は何やねん。

個人的には縄文人が変化(進化か?)した形やと思う。

顔つきが違うのは、米食から肉食に移ったからであって、体型の差も食文化の変化が原因やろ。

現代人のスタイルの良さや、小顔も、食文化の変化が原因と考えればスッキリするやん。

米食中心に変化したことで、生活様式も変化し、それに伴って顔つきや体系が変化したと考えるのが自然な流れやろな。

だから日本人のルーツは全て「縄文人」やと思う。

ここが「日本史」において一番重要なはずやのに、2通りの説があるのが歴史のおもろいとこやな。

最近じゃユダヤ同祖説まであるし。

先住民から一切変わらず現代まで来てるのと、渡来人(弥生人)に征服されてそこで歴史が変わって現代まで続くのじゃ、「日本人」のルーツが全然違うことになる。

早いとこ、遺伝子分析等で科学的に立証して欲しいもんですな。

と前フリが長くなり過ぎた…

で、「信仰心」なんやけど、縄文人は狩猟や採取で生活してた。

山や海に獲物を取りに行くその日暮しの、まさに「神頼み」の生活。

今日、獲物が取れるのも、取れんのも、神のみぞ知る。

自然とお願いしてたやろな。

しかも、山や海は表情を変える。

恵みをくれるかと思えば、噴火や津波など怒りをあらわにする。

自然崇拝するのに、これ以上のシチュエーションはないわな。

ここで「神」の存在っちゅうか、自然に感謝したり畏敬の念を持つようになったんやろ。

自然の恵みのみを頼りに、つつましく平和に生きてきた縄文人。

「もったいない」や「譲り合い」の精神も、ここが土台になってると思う。

だから「稲作」に移行しても「神」っちゅうか、自然に感謝する気持ちが残ったんやと思う。

これが、「弥生人=渡来人」説やと、そうはいかんようになる…と思う。

自然の恵みのみを頼りに、狩猟採取してるのと比べると、稲作は自然に逆らって人工的に作物を量産する行為。

畑や田んぼを耕し、自然を人間の都合の良い形に変える。

いわば自然を人間の支配化に置くことになるし、人為的な努力によって収穫に差が出来る。

ここに「神頼み」が入る余地は減ってくる。

「天候」っちゅうもんが関係してくるけど、狩猟採取に比べると影響力は極端に減るわな。

恵みをもたらしてくれる「自然」と考えるのと、「自然」を人間の手で改良して、人工的に恵みを取るのとでは、「自然」に対する意識は当然違うやろ。

弥生人=渡来人とすると、ここがどうもうまく繋がらん。

縄文人の「神」(自然)に対する考えが、そのまま弥生人に変化しても受け継がれたと考える方が、現代の信仰心を見ると辻褄が合う気がする。

で、このまま争いもなく、自然の恵みだけで生活したいと思う者もいれば、当然「このままでええんやろか」って思う者も出て来る。

明日が分からん狩猟採取生活よりも、明日の計画が立てられる稲作生活を模索する動きが出てくるのは自然な流れやろ。

稲作技術が伝来したのか、日本でも自然に発生したのかは置いといて、とにかく稲作に移行する者が現れる。

となると、稲作をする「土地」が必要になってくるし、蓄えるから奪われんように気をつけなあかん。

ここに「争い」が生まれる。

事実、縄文時代の遺跡には「戦(いくさ)」の痕跡が見当たらんけど、弥生時代の遺跡には「戦」の痕跡が見られる。

この争いを鎮める為や、集団をまとめる為にリーダーが必要になってくる。

そのリーダーは…

「神」(自然)に従順な縄文人の末裔。

当然リーダーは、「神のお告げ」を伝えられる人間が相応しいわな。

ここでの「神のお告げ」は、多分「天気予報」やったんやないかと思う。

噴火や津波は予測出来んけど、稲作にも重要な「天候」はある程度予測出来る。

10回中、1回でも当れば人を信用させるにゃ十分やろ。

その天気予報が出来た人間が、今の「天皇」になるんやろな。

天皇に祭祀としての役割があったり、新嘗祭(勤労感謝の日)っちゅう五穀豊穣を感謝する儀式を天皇が仕切るのも、その名残と考えれば辻褄合う。

で、その神のお告げを伝える天皇をより神格化させる為に、勾玉等の装飾品が発達したと。

縄文時代の遺跡には「土偶」みたいな「神」を模した出土品が多いのに対して、弥生時代の遺跡になると装飾品が増えて、そういう人や何かを模した出土品は極端に減る。

この事からも、直接「神」を信仰してた縄文時代は「神」を模した人形を信仰対象にしてたのに、弥生時代になると「神」が宿り易いと考えられる物が信仰対象に変わったのが分かる。

これに縄文時代から「もったいない」思想と、物に神が宿ると考えた弥生時代の思想が合わさって、「物を大事にする」っちゅう考えが完成したんやろな。

ちゅう風に、「多神教」っちゅうか、あらゆるものを認めて受け入れる素養は、この時代に培われたんやな。

縄文人と弥生人(となった縄文人)も、いづれ融合して行くのも、そういう素養があるからやろな。

そう考えると、他国で見られる「民族紛争(対立)」が日本で見られへんのが納得出来る。

天皇が現代まで続いてるのも、他国のリーダーが独裁者やったのに対して、天皇は神お告げを伝える伝道者であり、民衆をまとめる調停者やったからなんやろ。

独裁者は必ず民衆の反乱に合うけど、政治的なクーデターはあったけど、民衆の反乱がないのもそういう理由からやろな。

ようするに、天皇がおらんとこの国は、まとまらんっちゅうことです。

と、日本人の信仰心と、天皇の必要性を簡単に書いたけど、この辺の国の成り立ちや移り変わりは、日本神話で語りたいと思います。(いつ再開するねん)

まぁ、こういう事が、たとえ話(たとえ話なのか?)で書かれてるのが、古事記であり、日本書紀やから、こういう事を想像しながら読むと、また違ったものが発見出来るかもしれんな。

たまには、本や漫画で、この時代に思いを馳せてみて下さい。

歴史の授業は、基本的にこういう人間模様や、背景、流れを想像しながら、「あぁ、やっぱり日本人やなぁ」って実感する為のもんやないとあかんと思う。

今の授業は、年号覚えたり、名称を覚えたりする「暗記科目」に成り下がっとる。

だから歴史がおもしろくないし、学校も授業で教えん。

「日本人」を自覚することが出来んのも、「日本人」として「誇り」を持てんのもそのせいやろ。

何か英語が喋れるのが「国際化」のように言うヤツがおるけど、言葉はツールでしかない。

喋りたいことがなければ、ツールとしての言語を持ってても意味がない。

自国の成り立ちや、歴史に誇りを持てるからこそ、他国の歴史にも興味を持てるし、尊敬も出来る。

真の国際化は、言語を覚えることやなく、歴史に興味を持つことやと思う。

それに、伝えたいものがあれば、ツールとしての言語がなくても何とかなるもんですわ。

実際、英語も喋れんのに、アメリカ一人旅してもそんなに困らんかったし。

相手に対して「何でそう考える?」「何でそうする?」って時も、その人の育った環境を知れば納得するやろ。

それも「歴史」やん。

外国人ならなおさら。

「国際化」には、相手を理解することが必要。

その為には「歴史」を知る必要がある。

英語教育の前に、国語や歴史教育の充実させて欲しいもんです。











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