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慰安婦像の寄贈を受け入れたサンフランシスコ市のエドウィン・M・リー市長(65)が急死

何ともえらい時期に死んだな。

暗殺されたんやろか?

アイリス・チャンも謎の死を遂げてるけど、時期が時期だけエドウィン・リーの死も憶測を呼ぶやろな。

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サンフランシスコ市のエドウィン・M・リー市長が急死 中国系、弁護士出身

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20171212-00000567-san-n_ame&pos=1
サンフランシスコ市のエドウィン・M・リー市長が12日未明(日本時間同日夜)、市内の病院で亡くなった。65歳。地元メディアが伝えた。心臓発作による急死とされ、12日は市役所で会合に臨む予定だったという。

リー氏は2011年11月に初当選し、2期目だった。中国出身の両親を持つ弁護士で、就任時にはサンフランシスコ初のアジア系市長と話題になった。

死因は死蔵発作って言われても、こんなの信じられんわな。

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エドウィン・リー

エドウィン・リー - Wikipedia
エドウィン・マー・リー(Edwin Mah Lee、1952年5月5日 – 2017年12月12日)は、アメリカ合衆国の政治家、弁護士。サンフランシスコ市長を2011年から2017年まで務めた。中国名は李孟賢(リ・メンシャン)。

来歴

1952年にワシントン州シアトルに中国人移民の息子として生まれた。父は広東出身で朝鮮戦争に出兵したが、エドウィンが15歳の時に亡くなった。ボウディン大学を卒業し、トーマス・J・ワトソン奨学金を得てカリフォルニア大学バークレー校法律学校を卒業した。

大学卒業後、アジア人系の法律・弁護士団体、アジア人法律連盟(San Francisco Asian Law Caucus)で職を得てアジア人の人権や住居などが受けられるよう活動を行った。

2011年、市長代理を経てサンフランシスコ市長に初のアジア系アメリカ人として当選した[1]。中国系の政治活動家で中国共産党と関わりがあるローズ・パク(英語版)(Rose Pak)の影響があり、リーの選挙時には中国系アメリカ人初の市長として大きなキャンペーンを行った。パクは2012年のチャイナタウンで行われた尖閣諸島のデモやチャナタウンバイパレードでの法輪功の禁止など、中国共産党の政策の影響が強い人物である。

2013年、リーは政策として市の最低賃金を10ドル74セントから2018年までに15ドルまで段階的に増やす決定をした。オークランド市長と共同でカリフォルリア州全体の最低賃金を15ドルまで増やす活動を行い、2016年3月に州は決定をし、2022年までに15ドルまで増やす予定である。

5年間の間に失業率は6%減少し、テクノロジー企業や雇用政策を行ったため住宅価格などは大幅に上昇。その実績を持って臨んだ2015年の市長選挙では56%の得票を得て再選された。

2016年には市の8000人のホームレスを支援するプログラムを開始した。リーの在任中、サンフランシスコの住宅価格は2倍以上となり、ホームレスは4%増加した。

2017年11月23日、サンフランシスコ市議会は中国系団体が建てた慰安婦像を市を受け入れる決議案を採択した。これを受けて大阪市の吉村洋文市長は姉妹都市を解消する考えを示した。

2017年12月12日、心停止のためザッカーバーグ総合病院で死去。65歳。リーの死を受け、ロンドン・ブリード(英語版)が市長代行に就任した。

中国共産党の影響が強いっちゅうか…

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スパイ容疑でFBIの調査対象になっていた

大紀元 エポックタイムズ – 真実と伝統
在米中国紙・人民報によると、麻薬、武器、売春取引など裏社会にも影響力を持っていたとされる。外食代や床屋の代金不払いの常習犯といった地元の醜聞もある。長期の脱税や、中国共産党要人と密接な交流を重ねていたとして、共産党スパイ容疑で連邦調査局(FBI)調査対象とも伝えている。

スパイ容疑でFBIの調査対象にもなってたわけで、慰安婦像を受け入れたし、もう用済みって事で、口封じの為に殺されたって、どうしても考えてまうわ。

しかも、エドウィン・リーを当選させたこの「女傑」とやらも…

白蘭帰国の歓迎ムードの中、同市は、中国コミュニティへの尽力を称えてチャイナタウンのある路地を「白蘭之路」と名づけた。しかし、医師の話は実現しなかった。同年9月、白蘭は同市自宅で亡くなった。

今年の9月に死んでるし。

ディスカウント・ジャパン運動絡みでは…

アイリス・チャン

アイリス・チャン - Wikipedia
アイリス・チャン(Iris Shun-Ru Chang、張純如、1968年3月28日 – 2004年11月9日)は、中国系アメリカ人のジャーナリスト・政治活動家・作家。

来歴

アメリカ合衆国ニュージャージー州プリンストン生まれ。チャンの両親は1949年に中国人民解放軍から逃れて台湾に脱出した後、1962年にアメリカへ移住した。共にハーバード大学で学び、父親は理論物理学、母親は生物学の博士号を取得している。チャンが2歳の時、一家はイリノイ州シャンペーン・アーバナに転居し、チャンは同地で成長した。

ユニバーシティ・ラボラトリー・ハイスクール(en)を卒業後、ジャーナリストを志してイリノイ大学ジャーナリズム学部に進み、ジャーナリズムの学士号を得る。AP通信[1]およびシカゴ・トリビューンでの短い勤務の後、ジョンズ・ホプキンス大学の大学院で学び、25歳のとき作家としてデビューした。

2004年に自家用車内で拳銃自殺した。

一応「自殺」って事になってるけど、「ザ・レイプ・オブ・南京」とやらの捏造がバレて、アメリカでも叩かれ始めた頃に「自殺」やからなぁ。

捏造がバレて精神的に追い詰められての自殺って見方もできるけど、中国共産党の広告塔も兼ねてたわけで、そっち方面の暗殺ってどうしても考えてまう。

まぁ、どっちも個人的な妄想やけど。

何にしても、エドウィン・リーが死んでも慰安婦像はなくならんし、あの出たら目な碑文も残る。

それどころか、公教育で慰安婦を教える事も決まってるわけで、エドウィン・リーが死のうが生きようがディスカウント・ジャパン運動には何の影響もないねんな。

日本でも地方外国人参政権を認める動きがチラホラ出てきてるけど、例え地方でも外国人参政権を認めるとこうなるんで、日本人はこれを肝に銘じてて欲しいもんです。


朝鮮出身の帳場人が見た 慰安婦の真実―文化人類学者が読み解く『慰安所日記』











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