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女子中学生監禁事件で「なぜ逃げられなかったのか」という「理由」を問うことは暴力になるらしい

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女子中学生が逃げられなかった「理由」を問う事は暴力になる?

女子中学生監禁事件で「なぜ逃げられなかったのか」という「理由」を問うことは暴力になるらしい…今日この頃。
/(-_-)\ ウ~ン

脳科学とか心理学とか、科学的見地からその「理由」を広く共有した方が良いと思うんやけど…

女子中学生監禁事件、「なぜ逃げられなかったのか」という「理由」を問うことは暴力である(千田有紀) - エキスパート - Yahoo!ニュース
朝霞市で誘拐され、監禁されていた女子中学生が逃げ出し、約2年ぶりに保護されたという。子どもの身の上を心配し、活動されていた親御さんもホッとされただろう。よかった。ところで予想されたことであるが、「なぜ


逃げられるなら、逃げている。逃げられないのは、心理的、物理的、さまざまな理由で、逃げられないからである。こうした報道自体が、不幸にして次の監禁事件が行われた場合、被害者の救出をさらに困難にしないだろうか。次の被害者を出してしまう可能性すらある。助けられなかった無念さはわかる。しかし、「なぜ」を問いかけるのはやめたほうがいい。理由は、「逃げられなかったから」なのだ。

「なぜ逃げなかったのか?」って事を考えると個人攻撃に繋がる恐れもあるんでやめといた方がいいと思うけど、何がどうなったら逃げられなくなるのかってのは知っといた方がいいと思うんで、「なぜ逃げられなかったのか?」っちゅうか「なぜ逃げられなくなるのか?」ってのは考えた方がええんちゃう?

一般人は、こういう心理状態になる事がほとんどないんで気付かん事も多いわけで、新たな被害者が出たとしても、どうしてええか分からん。

けど、「理由(原因)」を知ってたら救出するヒントになるかもしれんやん。

今回のケースでも、「逃げられなかった」けど、逃げる事を諦めてなかったわけで、それは両親が懸命に探してるって事をネットで知ったからやろ。

被害者がいつも今回のケースみたいに外部の情報を取り入れられる環境に置かれてるとも限らんので、こういう状況になっても逃げる事を諦めん為の「心の拠り所」ってもんをどうつくるかって事を考えた方が良いとか、色々と「予防法」も考えられるし、普段の親子関係を見直す事もできるし、こういう状況の時にどうなったら助けを求めるようになるのかを知ってたら「対策法」も考えられる。

「助かったから良かった」で終わったら、それこそ思考停止で次の被害者の救出を困難にするだけやん。

なぜこうなるのかっちゅう「理由(原因)」を知って、どうすればその心理状態から解放できるのかっては知っとくのは必要な事やないんかね。

なので、個人的には、「なぜ逃げられなくなるのか?」って事をTVメディアで広く知らしめるべきやと思うんやけど…

個人的な知的好奇心が強いってのもあるけど、こういう「考えるな」的な話は賛同できかねますな。

それよりも、被害者は写真も名前も知れ渡ってるわけで、被害者やのにそういう情報が残り続ける方が問題なんで、「忘れられる権利」で守ってあげて欲しいもんです。

ちゅうか、ネット上じゃ「同意やった」とか「単なる家出の延長」とか被害者叩きも出回ってるんで、それを見て「そういう事を言うな(考えるな)」的な発言やとは思うけど、被害者叩きは褒められたもんやないけど、「原因を探る」って意味じゃ、「被害者の落ち度」を探すのもそれなりに意義はあると思うで。

また誰かが被害者になるかも分からんわけで、そうならん為にそういう事を考えてみるのも一つの予防策やん。

ネット上で公開で叩くのはいかがなもんかと思うけど…

何にしても、表現の仕方には気をつけるべきやけど、少女が逃げられなかった理由を考えるのは「暴力」と同じってのは、どうにも賛同できません。


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