「昨日の君はゴキブリとどう違う生き方をしたか」って問いに胸が痛い…今日この頃。
/(-_-)\ ウ~ン
アンドロイドの研究をしてる阪大の石黒先生が頻繁に「昨日の君はゴキブリとどう違う生き方をしたか」問いかけてるらしいんやけど…
アンドロイドの研究してるだけあって、「人間らしさ」とは何かについちゃ考えが深い。
石黒先生曰く…
毎日、食べて、寝て、ただそれだけの連続だとすれば、ゴキブリ同然であり、人間として生きている意味などない。
人間にしかできないことで最も重要なのは、この世の根本的な疑問を考えること。
すなわち物事の起源とは何か。
そして人間とは何なのか。
こうした疑問に突き動かされて行動する時だけが、人間が人間らしい瞬間だと私は考える。
さらに言うなら、人間とは何なのかという問いかけに対し、
自分なりの揺るぎない見地を確立し、それに従って生きている人間こそ
個性的と言うに値するのではないだろうか。
毎日寝て、起きて、食べて、間に学校に行くとか、会社に行くとかが入って、また食べて、寝ての繰り返し。
何も考えず、同じ事を繰り返すのはゴキブリと同じってことか。
さらに、石黒先生は、食べる寝る以外でもカネや地位、名誉などを根本に生きている人は、ゴキブリ同然って言うてる。
結局、「個性」だの、「自分らしさ」だのって言うても、カネや地位や名誉、「勉強が出来る」、「スポーツが出来る」など、そういう他人からどう評価されるかを気にしてる人の方が多いやろ。
そういう表面的なことやなくて、内面的なことで「個性」を見つけるのが人間。
自分なりの揺るぎない見地を確立し、それに従って生きる。
それが「個性」であり、「自分らしさ」なんやろな。
今やってることにどんな意味があるのか、最終的にどういう人間になりたいのか、そういうことを常に考えながら行動するのが「人間」として一番重要ってことか。
この「アンパンマンの歌詞」にも通じる言葉やな。
たまには「自分らしさ」「人間らしさ」っていうことを哲学してみる事をおすすめします。
それにしても、勉強して良い学校に行くっちゅうのも、それが目的になってて、その先に「どうなりたいのか」がないから勉強するのが嫌になる。
「働く」っちゅうのも、飯を食べて生活する為の手段のみになってるから、働くのが嫌になる。
まぁ、嫌になっても収入がなかったら食べていかれへんから、働くのを放棄するのは難しいけど…
「働く」っちゅうのは、社会貢献の一環やないとあかんと思う。
収入を得るっていうのは副次的なもので、本来は「働く」ことによって、見知らぬ誰かが喜ぶとか幸せになるとか、そういうとこに意義を見つけなあかんのちゃうかな。
最近の「偽装問題」は、そういう「人間らしさ」を放棄して、儲け主義に走ったゴキブリ経営者が増えたせい。
しかも、「カネを持ってる」っちゅうのが持て囃される風潮があるしな。
カネは持つよりも、どう使うか。
生きる為のツールの一つに過ぎん。
カネが多いと選択肢は増えるけど、選択肢が多いと選ぶのも困る。
結局はカネの多い少ないより、「自分が何をしたいのか」がないと、カネの量だけが多いだけで、何も出来ん。
まぁ、「自分が何をしたいのか」が分かってる人のところにカネは集まるんやろうけどな。
地位や名誉やカネは、結果としてついてくるもの。
これを目的にするんやなくて、「自分が何をしたいのか」を大事に生きたいもんです。
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