イスラム教徒が学校給食にクレームをつけてる…今日この頃。
┐(´~`)┌ヤレヤレ
何で学校が配慮せなあかんのか理解に苦しむ。
学校生活、給食など苦慮 ムスリムの子に「理解を」
調査は昨年11月、県内在住の同国人ら26家族を対象に、学校生活や職場で困っていること、対応策などを尋ね、実態を初めて公表。「ハラール対応」ではない学校給食に多くの保護者が悩んでいる様子が浮かび上がった。大半が毎日弁当持参か、豚肉使用のメニュー時におかずを持参する対応を取っていて、「給食は食べるが豚肉は残す」ように子どもに指示している家庭もあった。
食物アレルギーで食べたら命に関わるって事なら、それなりの配慮も必要やろうけど、宗教なんかは趣味嗜好の一つなわけで、要するに「好き嫌い」のレベル。
日本じゃ「好き嫌いするな」って教えとるのに、何でイスラム教に合わせて給食を考えなあかんねん。
食物アレルギーでも弁当持たせとるんやし、あんたらも弁当持ってくりゃええがな。
ちゅうか、これも性同一性障害の話と一緒やねんな。
違ってて良いけど、その違いを周りの人間にも強要するからおかしくなる。
社会は多数派の意志で構成されとるわけで、それでも自分の好きなようにやりたかったら、それなりに犠牲はつきものやろ。
そういうのは、性同一性障害、イスラム教徒に限らず、誰しもが大なり小なりあって、それなりに誰もが我慢して社会の構成員をやってる。
ほんま、近頃の「マイノリティ(少数派)」が、自分らの都合に合わせさせる運動には吐き気がするわ。
「社会」ってのはそういうもんで、それでも我を貫き通すと周りから嫌われる。
そうなると、嫌われても気にせず嫌われ者で生きて行くか、社会からフェードアウトするかしかないねん。
それやのに、「自分を受け入れん社会が悪い」って言うんやからねぇ。
エフィさんは、ハラール対応の給食を出す福岡県内の私立保育園や金曜日の礼拝を例外的に認める浜松市内の学校などを紹介し、「ルールだから駄目というのではなく柔軟な対応を検討してほしい」と理解を求めた。
その言葉、そっくりそのままお返しするわ(笑)
「戒律だから駄目というのではなく柔軟な対応を検討してほしい」ってな(笑)
だいたい、「豚肉はあかん」って言うけど、コーランにゃ…
♪ コーラン第2章アル・バガラ章 雌牛 第173節「神があなた方に食べることを禁じたもう物は、死肉、血、豚の肉、並びに屠(ほふ)るときにアッラー以外の名が唱えられた物のみである。だが必要に迫られ、故意に違反せず、また則(のり)を越えぬ場合は罪にはならぬ。アッラーは、寛容者、慈悲者であられる。」
「豚肉は食べたらあかんけど、必要に迫られたり、道徳的、常識的な範囲ならかまへんで」って書いてあるがな。
「アラーは寛容者で慈悲者やから許してくれる」とも書いてある。
アラーも「柔軟な対応」を許しとるのに、何で学校に「柔軟な対応」を求めとるねん。
まずは、あんたらが「柔軟な対応」したらええがな。
だいたい、こんなもん対応してたら収拾つかんようになるっちゅうの。
「信教の自由」ってのは、憲法で保障されてるわけで、「宗教法人」になるにはルールがあるけど、「宗教団体」は誰でもつくる事ができる。
新しい宗教をつくって、戒律で「ピーマンを食べたらあかん」「野菜しか食べたらあかん」って決める事は誰にでもできるねん。
それをいちいち対応しろって言うん?
ほんま、こういう「マイノリティ(少数派)」の「配慮」って言いながら「特別扱いしろ」って話は吐き気がするわ。
とにかく、できる事はやってあげりゃええけど、「できんもんはできん」って突き返すのも「教育」なんで、学校側はこういう事で特別な事はせんようにして欲しいもんです。
それにしても、いつから「マイノリティ(少数派)」は「我が儘を言うて良い」って風潮になったんやろな。
で、「我が儘を聞かん社会が悪い」って話になる。
どっかで1回我が儘を聞いたから、「声を上げな損や」って方向になったんやろな。
「多様性」だの「マイノリティ(少数派)」って言えば、何でも許されるってのは、ほんまどうかと思うわ。
誰しもがある部分じゃ「マイノリティ(少数派)」やねん。
だから、誰しもが大なり小なり我慢してる。
まぁ、多様性を認めたり、マイノリティに気配りする事も大事やけど、それはマジョリティ(多数派)ができる範囲で考える事であって、強制されるもんやない。
「多様性を認める」とか「マイノリティ(少数派)を尊重する」ってのが、「我が儘を言うて良い」って方向になってるから、モンペだのクレーマーだの、おかしなのも増えてきてる。
ほんま、困ったもんですな。
コメント
確かに、イスラム系教徒にそこまで配慮するなら、ユダヤ教徒やベジタリアンにも考慮しないと不公平になる。