【性同一性障害】「この体が嫌なんよ」胸かきむしり嗚咽、命絶った我が子
よう分からん話やな。
母親は11年8月、労災に基づく遺族補償年金を申請したが、岩国労働基準監督署が「自殺は業務上のものではない」として不支給を決定。今回の訴訟はその取り消しを求めたものだった。判決は、優子さんにとって性同一性障害の告白は大きな心理的負荷になったが、「私的な内容であり、業務上のできごととは評価できない」と判断。嫌がらせやいじめ、退職強要も認められないと結論づけた。判決などによると、優子さんは勤め先の自動車販売会社の正社員になった直後の08年11月、同僚に性同一性障害を告白。その後社内で自傷行為をしたことなどを理由に解雇通知を受けたことから、地位保全を求め仮処分を申し立てたが、09年1月に自殺した。
性同一性障害を告白して、嫌がらせや虐めがあったわけでもないのに、これで「会社が悪い。カネよこせ」って言われてもねぇ。
会社としては女やと思って採用したのに、「男です」って言われりゃ戸惑うやろうし、それでも会社側からは「辞めろ」とは言うとらんのに、社内で自傷行為とかされりゃ、そりゃ辞めてもらうしかないやろ。
ちゅうか、そういう事ができるって事は、やっぱり「女」なんやと思うし、これって仕事上の話やなくて、ふったふられたっちゅう恋愛の話なんとちゃうん?
だから「自傷行為」なんやろ?
ふったふられたは、性同一性障害だろうが何だろうが好みの問題があるわけで、それを受け入れん社会が悪いって言われてもねぇ。
ブサイクとかはどうしたらええねんって話やで。
それに、性同一性障害になった事がないんでよう分からんけど、精神的に苦しい部分はあったにしても…
どうして死ななければいけなかったのか。優子の死を自己責任と言って終わらせないでほしい。そう思って裁判を闘ってきました。
やっぱり「自己責任」なんとちゃう?
亡くなる数日前、「この体が嫌なんよ!」と言って胸のあたりをかきむしり、嗚咽(おえつ)をもらしていました。感情をあらわにすることはほとんどなかったのに。それほどまでに失望したんだと思います。自分の体と性を受け入れて何とか生きていこうとしたけど、周りに受け入れられなかった。
「周りに受け入れられなかった」って言うけど、これって自分の考えの押しつけでしかないやん。
まずは、自分が自分を受け入れるのが先なんとちゃう?
周りからどう思われようが、「自分はこういう自分だ」って受け入れてりゃ、こんな問題にもならんと思うんやけどなぁ。
「体と心の性別が違う」って思い込んで、その枠に自分を閉じ込めて、それを認めん周囲が悪いってのは、ちょっと考え方がおかしいと思うで。
そもそも、心に性別なんかはないわけで、女らしい男もおれば、男らしい女もおる。
実際、仕事なんかも男女の垣根ってなくなりつつあるやん。
それじゃあかんのやろか?
何で「男(女)として扱え」って事を強要するんか、そこが理解に苦しむ。
他人に認められんと生きていけんの?
ちゅうか、他人に認められる生き方ってのは、他人が考えてる生き方をするって事なわけで、自分が考えた人生を歩めんって事やねんで。
そんな不自由で不幸な生き方して何が楽しいん?
性同一性障害に限らず、この「承認欲求」を追及する生き方はやめた方がええで。
詳しい話は「嫌われる勇気」を読んでもらうとして、結局は「性同一性障害」がどうのこうのってよりも、自分が自分自身を受け入れられんかったってだけの話で、それを他人のせいにするから、話がおかしくなる。
これは優子だけの問題じゃないんです。みんな違ってみんないい。みんながそう思える社会だったら優子は受け入れられていたのかもしれない。自分の生きたい性で生きられる社会になってほしいと思います。
「みんな違ってみんないい」なら、性同一性障害を受け入れられへん人もいいわけやん。
「違っていい」って言いながら、違う事を受け入れん事を否定する。
自己矛盾に陥ってる事に気づきましょうね。
ちゅうか、「自分の生きたい性で生きられる社会」なんてもんを欲する前に、まずは自分自身をちゃんと確立するのが先やで。
他人がどう思おうが「自分は自分」って思える自分がないのに、それを他人に強制しようとしても無理ですわ。
否定されても、嫌われても、自分を貫く。
それで初めて周りってのは、変化するもんやん。
何か長々と訳の分からん事を書いとるけど、こうやって、他人のせいにしてる限り、この問題ってのはどんどんおかしな方向に行くと思うんで、まずは性同一性障害者がそういう自分を認めるとこから始める事ですな。
性同一性障害者自身が、「こんな事言ったらどう思われるんだろう」とか他人の評価を気にし過ぎてるのは、自分自身が自分を認めてないって事。
他人が受け入れてくれない事を悩む前に、まずは自分が自分を受け入れましょうって事で。
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