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グラビアアイドルの片瀬美月さんが急逝 2浪して横浜国立大学に進学 亡くなる当日にWBC観戦ツイート

グラビアアイドルの片瀬美月さんが急逝 2浪して横浜国立大学に進学 亡くなる当日にWBC観戦ツイート

死因が発表されてないって事はそういう事なんやろうけど、2浪して横浜国立大学に進学するような努力家で負けず嫌いの人が何でこんな事になったんやろな。

Facebookには何か意味深な投稿もあるけど…

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横浜国大卒のグラドル片瀬美月さんが急逝

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グラビアアイドルの片瀬美月さんが21日に亡くなっていたことが26日、明らかになった。所属事務所「エンターマックスプロモーション」が公式ツイッターなどに文書を掲載し「2023年3月21日 片瀬美月が急逝いたしました。」と報告した。「突然の訃報に接し、今はまだ現実を受けとめることすら出来ない状態です」と事務所関係者も驚いている。通夜・告別式は近親者のみで執り行ったという。

片瀬さんは、2014年5月に事務所に所属。22年には「ミスiD」のファイナリストに選ばれるなどしていた。「ミスiD」公式サイトによると96年12月20日生まれの26歳。自身のツイッターで「横浜国大卒(物理屋さん)」と理系であることも伝えている。昨年12月26日の「エンたまイベント」ツイッターでは9年前の所属したばかりの時代の宣材とみられる写真と、現在の宣材写真を並べるショットも掲載されている。

「直近では大きな仕事もいくつか決まり」って事やから、仕事で悩んでたって事はなさそうやしなぁ。

去年の「ミスiD」ではファイナリストにもなってるし。

そんな片瀬美月さんは横浜国立大学卒業なわけやけど…

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片瀬美月さんは2浪して横浜国立大学に進学

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浪人という選択を取る人が20年前と比べて2分の1になっている現在。「浪人してでも、志望する大学に行きたい」という人が減っている一方で、浪人生活を経験したことで、人生が変わった人もいます。自身も9年の浪人生活を経て早稲田大学に合格した濱井正吾さんが、さまざまな浪人経験者にインタビューをし、その道を選んでよかったこと・頑張れた理由などを追求していきます。今回は、関西随一の進学校を高校3年生の12月に退学。アイドル活動をしながら2浪し、横浜国立大学に進学したアイドルの片瀬美月さんにお話を伺いました。

アイドル活動をしながら2浪するってのもなかなか凄いけど、その2浪した理由が…

「母方の実家で育ちました。父親を知らずに育ったのですが、高校教師の母親と、小学校教師だった祖母に育ててもらいました」

小学校のときは学級委員長を務める、リーダータイプの子どもだったそうです。勉強はつねに100点。小学3年生のときに中学受験の塾に入ってからも熱心に勉強を続け、ある都道府県でいちばん賢い中高一貫の女子校に合格します。

高校に進学しても、模試の判定は志望する大阪大学でC、神戸大学でBという好成績をキープしていました。

しかし、受験間近に迫った高校3年生の12月、突如自主退学に追い込まれます。皮肉にもそれは、彼女の夢と、それを叶えるための選択が関係していました。

高3の12月に自主退学に追い込まれてるねんな。

その理由が

「11月末に友達が学校側にグラビアに出ていることをリークして、呼び出しを受けたんです。先生方からは『我が校の名誉毀損だ』と言われました。私は『校則では禁止されていない!』と主張したのですが、話を聞いてもらえませんでした。『グラビアは悪』という固定観念があり、12月に自主退学を余儀なくされたのです」

この時期に退学した片瀬さんは、高卒認定が受けられず、センター試験(現:共通テスト)も受験できないという問題に直面します。

グラビア活動してたって事が理由と。

そこから何とか

そこからは卒業資格を得られる学校を探したものの、関西では見つからず、唯一受け入れてくれたのが関東にある聖パウロ学園でした。すぐ編入を決めてなんとか受験ができる体制には持っていけたものの、彼女自身のメンタル状態はもう限界でした。

「友達がリークしたという話がずっと頭から離れませんでした。ただでさえ動揺していたのに、すでに出願していたため、受験校を変えられず、関西に戻ってセンター試験を受験したとき、告げ口したと思われる子が話しかけてきたのです。もう取り乱して試験どころではなくて、6割程度の得点しか取れませんでした」

編入して受験できる体制にはなったけど、友達に裏切られた事でメンタルがボロボロになって試験どころやなかったと。

これで浪人する事になるわけやけど

1浪目からはアイドル活動も本格的にはじめ、グラビアでも少しずつ人気が出はじめたと言います。平日は月に半分パン屋さんで朝7時から12時までアルバイトをして、20時ごろまで予備校に通い6時間程度の勉強をする一方で、土日はグラビアの撮影会を朝から晩までやっていました。

慌ただしく1浪目が過ぎ去りましたが、現役のときと比較しても大きく成績は伸びませんでした。結局、前期・後期の両方で受験した千葉大学に加え、滑り止めで何校か受けたGMARCH(学習院、明治、青山学院、立教、中央、法政)も学習院大学の補欠合格が繰り上がらず、全落ちが確定しました。

アイドル活動が忙しくなって2浪する事になると。

「親に全落ちしたことを伝えたとき、『国立大学に入らないともう芸能活動をやらせない』と言われたんです。アイドルをやめるくらいなら、2浪してでも国立大学へ行くと決めました」

アイドルをやめるくらいなら2浪してでも国立大学へ行くってのが凄いな。

朝9時前から17時前まで勉強したらすぐに17時からスタートのライブに参加し、18時から23時ごろまである特典会に参加。0時に帰宅してから徹夜で勉強して、3時間程度だけ睡眠をとって、授業に行く生活を毎日送りました。

「当時はとても精神的に疲れていて、朝になると泣きながら予備校に通いました。家でも電車でもずっと泣いていました。授業をひたすら集中して受けたらすぐに電車に飛び乗って新宿か渋谷のライブ会場に向かい、開始5分前に到着してました」

それでも、人の2倍頑張るほど驚異的な勉強量の甲斐もあって、成績はぐんぐん上昇し、マーク模試では8割以上をコンスタントに取れるようになりました。東大の判定もDが出るようになったそうです。

残念ながらセンター試験では前年と同じ7割程度で終わりましたが、彼女はE判定だった横浜国立大学に出願します。それは現役時、1浪時と比較して確かな自信を身につけていたからでした。

「予備校の先生には反対されたのですが、この1カ月だけアイドル活動を休んで、すべてを苦手な化学の分析にあてたらいけると思いました。そうしたら本番で全部やったところが出たのです」

こうして片瀬さんは2浪の末、E判定を覆して横浜国立大学の理工学部に合格しました。滑り止めはGMARCHに5学部出して、立教・青学・法政・学習院の4学部に合格。6戦5勝という実に堂々たる成績で受験を終えたのです。

こんな努力家で負けず嫌いな片瀬美月さんが3月21日に亡くなったわけやけど…

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片瀬美月さんのツイート

亡くなった当日にWBCの準決勝の観戦をしてたツイートしてるねんな。

準決勝を見たら決勝を見たいって思うはずなんやけど…

このツイートの流れも気になるけど、更に気になるのが

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片瀬美月さんのFacebookの投稿

「もっと自分の幸せを追求すればよかった」とか

『もうやめよう』
いくら一人で涙を流したとしても
いくら一人で悩んでいたとしても
いくら一人で恨んだとしても
相手は何も感じていない
何も考えていない
もう忘れよう
もう考えるのはやめよう
同じ時間を使うなら
自分のために
明日のために
未来のために

ってのが妙に気になる。

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片瀬美月さんの母親のツイート

これが亡くなった翌日の午前の2時なんやけど、何で亡くなったかお母さんも分からんのやな。

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Twitterの反応

何にしても、何があったか分からんけど、26歳の人が亡くなるってのは辛いですな。











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コメント

  1. こんな背景があったんですね。
    頑張り過ぎてキャパオーバーしてしまったのかなと思いました。
    余裕ない中で無理して必死に続けてきたことが、身体的にも精神的にも突然切れてしまう瞬間があるので。
    これだけ努力できる人が亡くなるのは言葉にならないです。

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