「無財の七施」が誰しも出来たら世界は平和になる…今日この頃。
2500年以上も前に、こういう事を教えてた釈迦が、現代を見たらどう思うんやろな。
釈迦の説いた「雑宝蔵経」の中に「無財の七施」について書かれてるんやけど、この「無財の七施」っちゅうのは、お金がなくても誰でも出来る「布施」のこと。
仏教には、人間形成における六つの行、六波羅蜜があるんやけど、この中の一番目が「布施」やねん。
ここで言う「布施」は、財施(ざいせ)、法施(ほうせ)、無畏施(むいせ)のことで
財施は、金銭や衣服食料などの財を施すこと。
法施は、仏の教えを説くこと。
無畏施は、災難などに遭っている人を慰めてその恐怖心を除くこと。
どっかの選挙になるとうるさい某宗教は、このうちの財施ばかりを強要しとるけど…
これは、財施っちゅう修行をさせてあげてるんやから、感謝しなさいっちゅう考え方が根底にあるからなんやな。
だからカネをあげるのは自分の修行の為であって、教団は修行させてあげる立場やから、上から目線で何ぼでも吸い上げるねん。
托鉢の坊主が頭を下げへんのもこの為やな。
しかもこれ、しぶしぶやったら効果がないっちゅう但し書きつきやねんな。
だから、嫌がる人間ほど「修行が足らん」っちゅうて搾り取れると。
そのせいで、選挙に熱心な某宗教の信者の夜逃げが後を断たんのだとか…
さすがは年間何百億も集めるカルト教団(笑)
いかん、いかん。あの某宗教が頭に浮かぶと、ええ話も崩れてまうわ(汗)
まぁ、釈迦は王子で裕福な暮らしをしてたから、金持ち目線で「財を施せ」って言うとるんやろうけど、現代ではそれを逆手に取って自分の「欲」の為に利用しとるバカがようけおるっちゅう事やな。
お釈迦様でも、ここまで考えられへんかったわけですわ。
脱線したから、話を戻して。
で、お金がないと「布施」は出来んのやったら、一番目の行が出来ん。
そこで「無財の七施」があるんやな。
無財の七施
1.眼施(がんせ)
慈眼施ともいい、慈しみに満ちた優しいまなざしで、すべてに接すること。
「目は口ほどにものを言う」っちゅうように、相手の目を見ると、その思いがある程度伝わる。相手を思いやる心で見つめると、その思いが相手に伝わって相手も優しくなるっちゅう意味やな。
「目を通して優しさを与えなさい」って事ですわ。
2.和顔施(わげんせ)
和顔悦色施ともいい、いつもなごやかで穏やかな顔つきで人や物に接すること。
赤ちゃんの笑顔を見ると、心が安らぐように、慈悲の笑顔で接することで、周りも明るくなる。
腹が立つことがあっても笑顔で接して、周囲を明るくさせろってことやな。
3.愛語施(あいごせ)
言辞施ともいい、文字通り優しい言葉、思いやりのある態度で言葉を交わす行ないのこと。
人は言葉でコミュニケーションを取る生き物。言葉で人を励ますことも出来れば、言葉で人を傷つけることも出来る。
あいさつや感謝の言葉をちゃんと使うことで、周囲も和むっちゅうことやな。
この今日の一言も、この愛語施にならんかな?
4.身施(しんせ)
捨身施ともいい、自分の身体で奉仕をすること。
重い荷物を持ってあげたり、困っている人を助けたり、文字通り身体を使って、人に尽くすことやな。
5.心施(しんせ)
心慮施ともいい、他のために心をくばり、心底から共に喜び共に悲しむこと。
「自分だけが良ければいい」ちゅうんじゃなく、他人の痛みに気付き、心配りが出来るようになれっちゅうことやな。
6.床座施(しょうざせ)
電車や会場で喜んで席を譲ること。または、競争相手にさえも自分の地位を譲ってあげること。
何事も独り占めはあかん。譲り合い、分け合う気持ちが大事やっちゅうことやな。
7.房舎施(ぼうしゃせ)
風や雨露をしのぐ所を与えること。または、自分が半身濡れながらも、相手に雨がかからないように傘を差し掛けること。
困った時はお互い様ってことやな。
まぁ、どれも結局は「他人の痛みを知る心」のことを言うとるんやろな。
これを全ての人間が実践出来たら戦争なんか起こるはずもないんやけど…
2500年以上も経ちながら、実践出来てないどころか、こういう事は忘れ去られて来とるわな。
それだけ、人間にとって「無財の七施」が難しいっちゅう裏返しなんやろうけど…
悪い事は教えんでも出来るけど、良い事は教えな出来ん。
こういう古代宗教の持つ、「倫理観」や「哲学」を学校教育にも導入したらええのになぁ。
特定宗教に入信するのは、個人的に好かんけど、宗教の持つ「倫理観」や「哲学」は、人間が社会生活を送る上での重要なルールが書かれとる。
それだけ、人間の本質は「悪」っちゅうか、自己中心的に考える生き物なんやろな。
まぁ、自然界に存在する生物全てがそうなんやろうけど…
初等教育で導入するとか、寺や教会で日曜学校をやるとか、その宗教に入信させる目的やなくて、もっと気軽に庶民が学べる場がありゃ、ちょっとは変わりそうな気もするんやけどなぁ。
まぁ、独学で本を読んだりして勉強すりゃええんやろうけど、こういうのって「躾け」みたいなもんやから、誰かから押し付けられんと、自ら進んで学ぶっちゅうのは、なかなか難しいやろ。
この「いただきます・ごちそうさま」でも書いたけど、人間は一人では生きていかれへん生き物やねん。
他人の痛みを分かって
「おかげさまで」
の気持ちを大事にしたいもんやな。
オイラもなかなか実践出来てへんけど…
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