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宮崎家族殺害事件の奥本死刑囚が手記 「この世との縁が無くなっても償いを続けたい」

生後5ヶ月の長男に妻に義母と3人も殺してりゃ死刑も当然って気もせんでもないんやけど、個人的には何の為に「情状酌量」ってもんがあるんやろなとも思う。

ちゅうか、この人が死刑なら1人しか殺してなくても、もっと他に死刑に相応しい人がおると思うんやけどねぇ。

単純に何人殺したから死刑ってするなら、裁判なんか必要ないと思うんやけど。

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家族3人殺害、奥本死刑囚が手記「この世との縁が無くなっても償いを続けたい」…死刑確定から3年

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20171210-00007067-bengocom-soci
奥本死刑囚は2010年3月に宮崎市の自宅で同居していた義母(妻の母)、妻、長男を殺害する事件を起こし、同年12月7日、宮崎地裁の裁判員裁判で死刑判決を受けた。その後、控訴、上告も棄却され、2014年11月に死刑が確定した。

裁判の認定では、奥本死刑囚が犯行に及んだ動機は、家庭内の様々な問題に起因するストレスなどだとされた。裁判中に受けた心理鑑定によると、慢性的な睡眠不足のため、犯行時には視野狭窄、意識狭窄の状態に陥り、冷静な思考や行動ができなくなっていたという。こうした経緯に同情した人が多数集まり、裁判中から減刑を求める支援活動を展開。その様子がテレビや新聞で報道され、注目を集めた。

弁護人は今年3月、「生きて償って欲しい」と減刑を求める被害者遺族の男性の上申書を「新証拠」として宮崎地裁に再審を請求。しかし9月には、「量刑に関する情状は再審の理由にあたらない」として請求を棄却されていた。現在は福岡高裁宮崎支部に即時抗告している。

どんな理由があろうが人を殺したらあかんってのは分かるし、人を殺したら命をもってしか償えないってのもよく分かるし、個人的には人を1人でも殺したら原則死刑で良いと思ってる。

ただ、その原則ってのは守られてないわけで、それならこういう人こそ情状酌量するべきやと思うんやけどなぁ。

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宮崎家族3人殺害:裁判員裁判 奥本被告「どんな刑でも受ける」

宮崎・家族3人殺害:裁判員裁判 「どんな刑でも受ける」被告、謝罪の言葉 /宮崎 - 毎日jp(毎日新聞)
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■被告人質問

午前10時、弁護側による被告人質問が再開された。

義母の貴子さんから「あんたのことは自衛隊を辞めた時から気にくわん」「あんたの両親は何もしてくれん」などと非難され、被告は「本当は家に早く帰りたいのに、家に居場所がなくて帰れなかった」などと帰宅が遅くなっていった経緯について語った。

今年2月23日、被告の故郷で雄登ちゃんの初節句をすることを巡って、貴子さんと口論。その際、貴子さんから頭をたたかれ、被告の出身地を差別的な言葉で中傷されたことや「離婚したければ離婚しろ。慰謝料をがっつり取ってやる」などと言われたとも語った。

 2日後の25日。

「もう限界だと思った。何とかこの生活から抜け出したいと考えた。義母を殺害するしかないと思った」と殺害を決意した時期について明らかにした。くみ子さんと雄登ちゃんについては「義母を殺害したらくみ子がいるので、私が捕まってしまう。雄登は赤ちゃんなので、お母さんと一緒がいいと思った」などと3人殺害の動機についても語った。

犯行当日については涙声で次のように説明した。

「(首を絞めた)雄登を浴槽に沈め、扉を閉めました。中からバシャバシャという音が聞こえた時、雄登の苦しんでいる姿が思い浮かびました。でも、こうするしかないと思いました」

3人の遺体については、会社の資材置き場に重機で穴を掘って埋める計画だったが、「操縦技術がないので掘れなかった。雄登だけを埋めて、2人は強盗殺人に見せかけようと思った」などと説明。

事件については「後悔しております」。「夢であってほしいか?」と聞かれ、「毎日……、毎日思っています」と涙した。雄登ちゃんについては「(自分と似ているのは)唇だと思っていた。あやすと笑った顔が一番頭に残っている。ごめんねということしか思いつきません」とおえつした。

妻と義母や、親族らにも謝罪の言葉を述べ、「私はどのような刑でも……、どのような刑でも受け入れる覚悟です」と語った。

日常的に罵られ、軽い暴行も受けて、離婚を考えても「離婚したければ離婚しろ。慰謝料をがっつり取ってやる」って言われて追い込まれりゃおかしくなるのも当然やん。

しかも、地裁での公判でこれだけ後悔も反省もしてるんやから、犯行直後からこの状態で「私はどのような刑でも……、どのような刑でも受け入れる覚悟です」とまで言うてるんやで。

どう考えても「更正の余地」とやらがあると思うんやけど。

「更正の余地」なんかなさそうな奴でも1人しか殺してないからって事で死刑を回避するのに、何で3人殺したからって「更正の余地」とやらを無視するん?

こういう事するなら、もう1人殺したら死刑で、裁判なんかせんでええやん。

どんだけ理不尽で自己中心的な殺人でも1人なら死刑を回避して、汲むべき事情があっても3人殺してるからって死刑にする。

ほんま、意味が分からん。

この人が死刑なら石橋和歩の方が死刑に相応しいと思うんやけど。

いっその事、1人殺したら、クマみたいに裁判もなしで殺処分してくれるんやったら、このケースでも死刑で何の文句もないんやけど、そうやないから色々と困るねんなぁ。

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奥本章寛死刑囚の手記全文

私は現在、福岡拘置所に拘置されていまして、死刑の執行を待つ身です。

裁判員裁判(宮崎地方裁判所)での死刑判決が2010(平成22)年12月7日、控訴審(福岡高等裁判所宮崎支部)の同判決(控訴棄却)が2012年(同24)年3月22日、上告審(最高裁判所)の同判決(上告棄却)が2014(同26)年10月16日(判決訂正申立ての棄却が11月5日)です。そして、死刑確定の告知が11月18日で、告知後から確定処遇に入りました。

私が死刑確定者になったのは、2010年3月1日早朝(私は当時22歳)、同居していた義母(同50歳)と妻(同24歳)、長男(同生後5ケ月)の3名を自宅で殺害したからです。

家族3名を殺害した動機は、義母との生活から逃れたかったという自己中心的で身勝手極まりないものでした。生後6ケ月直前の寝返りが打てるようになった息子を、育児に家事に懸命だった妻を、本当に家族思いだった義母を殺害する理由はどこにもありませんでした。

家族3名の殺害という重大な結果となったのは、ひとえに私が無知で未熟者、愚か者であったためだと思っています。事件のことはもちろんですが、さまざまなことを今も悔み続けています。被害者には心の底から申し訳なく思っています。そして、御遺族の皆様にも大変申し訳ないと思っております。どんなにお詫び申し上げてもお詫びし尽くせません。

家族3名を殺害した後の生活のことは、殺害を考え始めて(事件の数日前)からはまったく考えていませんでした。それ以前には、妻ともし離婚した場合の生活のことは何度も考えたことがあります。妻と離婚し独りになったら、慰謝料と養育費をきちんと支払うために、私と妻の借金をきちんと返済するために、生活費を稼ぐために働いて働いて、働きまくろうと漠然と考えていました。同時に一緒に仕事をしていた独身の同僚達が話してくれた、思わず羨ましいと思ってしまった話は私には無縁の生活だとも考えていました。

私が信仰しているのは浄土真宗です。毎日、朝夕のお勤めをし、写経・書写をしています。そして、一日に何度も称名をしています。写経・書写は、さまざまなことの後悔の気持ち、謝罪の気持ちで行なっています。それらの時間は、毎日の生活の中で特に大切な時間となっています。命あるかぎり続けます。

毎日、被害者に手を合わせ、謝罪しています。一日に何度も被害者の名を口にしています。何にもならないかもしれませんが、これも続けます。

私が逮捕されたのは、事件翌日(3月2日)のまだ日が昇らない時間でした。その後、留置場に入れられ、刑事施設内での生活が始まりました。留置場には4ケ月程居まして、7月を過ぎてから宮崎刑務所に移送されました。宮崎刑務所内にある拘置棟での生活は死刑が確定するまで続きまして(約4年4ケ月)、2014年11月26日に福岡拘置所に移送されました。

現在、生活している部屋は監視カメラ付きの単独室で(留置場と宮崎刑務所でも同じ)、広さは約4畳です。畳は3枚で、残りの1畳程度のスペースに向かい合う形で水洗トイレと洗面台が設置されています。一人で生活するには充分な広さだと思っていまして、電気は蛍光灯が2本で、外からの自然光もあるので明るさも充分です。

部屋には机(縦40×横60×高さ37・5cm)が1脚あり、この机で朝・昼・夕の食事(受刑者1名が配食)をし、書き物をします。私は平日、自己契約作業(紙袋製作)をしていまして、作業もその机で行ないます。

作業で稼いだお金(月に5千円前後)は慰謝料の足しにし、菩提寺へのお布施代にしています。現在、御遺族のお一人に慰謝料をお支払いしていますが、その作業金を含めてもとても少額です。

慰謝料用のお金を捻出するために私が色鉛筆で絵を描き、支援者がその絵を利用して、うちわとカレンダーを製作して販売しています。

私が犯した大罪は、いくら慰謝料を支払おうとも罪が軽くなったり、許されることはまったくないと思っています。また謝罪することと慰謝料を支払うのは加害者の最低限の当然のことだと思っています。

私の裁判員裁判と同時期に、お二人の御遺族が私に対して、損害賠償命令の申立てをされました。請求額は当然莫大な金額でしたが、お金があるのならばすぐにでも請求額全額をお支払いしたい、いや、それ以上の額の慰謝料をお支払いしたいと思っていました。お二人は結局、申立てのすべてを取り下げられました。

私は今でも慰謝料は御遺族の皆様にお支払いしたい、命あるかぎり支払い続けたいと思っています。しかし、現状はお一人の御遺族にとても少額の慰謝料しかお支払いできていません。支援者が尽力してくれていますが、現実はきびしいです。とても心苦しく思っています。

私は絵を描くのはとても苦手で、まったくの素人ですが私なりに懸命に描いています。絵を描いている時は被害者のことを念頭に置いているためか、写経・書写をしている時と似た心境です。ですので、絵を描くのは写経・書写と同じだと思っています。

支援者のおかげで、絵を描くことによって少額ではありますが慰謝料を支払えるようになりました。本当に有難いことです。心から感謝しております。支援者がいるかぎり、絵を描くことを続けます。

私が被害者にしたことをよく思い出していますが、本当に恐ろしいとんでもないことをしたとその都度、心底思います。私が犯した罪の罰は、死刑ではまったく物足りないと思っています。日々罪が重くなっているように感じていまして、毎日苦しいです。自業自得ですね。

私が毎日行っていることが償いになっているのかはわかりませんが、罪を償いたいと強く思っています。しかし、私が犯した罪はあまりに重大で、償いきれません。虚しく日が過ぎていきますが、行っていることを命あるかぎり続けます。

この世との縁が無くなっても償いを続けたいと思っています。もしかすると、そこからが真の償いの始まりなのかもしれないと考えています。

今日も手を合わせて、南無阿弥陀仏。

奥本 章寛

裁判所は「量刑に関する情状は再審の理由にあたらない」って事で再審拒否してるみたいやけど、こういう人を杓子定規に死刑にするなら、今後「更正の余地」とか「情状酌量」で死刑回避するのは絶対にせん事ですな。

それなら、この死刑も納得できる。

ちゅうか、被害者遺族ですら減刑を望んでるのになぁ。

ほんま、司法ってもんは分からんもんです。

何にしても、1人2人やから無期懲役、3人やから死刑っちゅうアホな判決だけはやめて欲しいもんです。

それと、これで死刑なら、他にもっと死刑が相応しい奴がようけおるんで、未必の故意を拡大するなり、死刑の基準も広げるべきですな。

そうせんと、死刑と死刑じゃないのにあまりにも矛盾が生じる事になって、混乱するんで、その辺も考えて欲しいもんです。


死刑 その哲学的考察











死刑・死刑廃止論
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