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汚染米問題 食の安全・安心を考える

食の安全の確保するなら直販しかない…今日この頃。
(¬_¬)

今回の汚染米騒動にしても、「食管法」で守られてる時は起こるはずのない事件やったのに、この縛りがなくなって、「商社」が米の流通に関われるようになったから起きた事件。

物流が格段に進化して、巨大スーパーが出来るようになって、庶民は安くて簡単に食料が買えるようになった。

大量に仕入れて、大量に売ることで、値段は安くなって、何でもそろうようにはなったけど、「食料」も単に「数字」に変わった。

産地の人間も、消費者も「便利」を手に入れたけど、その代わりに「安心・安全」を失ったっちゅうことやな。

「いただきます」と「ごちそうさま」
「ごちそうさま」を言うヤツが少ない…今日この頃。 ε= (-.- )ハァー

この「いただきます・ごちそうさま」の時にも触れたけど、本来食材をそろえるのは大変な苦労やった。

「御馳走様」は、足を使って、色んなとこから食材をそろえたとこから来てる。

それが、ご馳走するのに走らんでもええし、時間も節約出来るようになった。

産地の人間が行商で売りに来るか、産地まで出向いて買うかしかなかったのが、米屋や八百屋、肉屋、魚屋、そういう専門に売る店が出来て、それが集まって商店街が出来た。

商店街の時代までは対面販売が保たれてたから、食材っちゅうよりは、店の人間の信用で「安心・安全」が担保されてたけど、これがスーパーに移ると、仕入れる人間と売る人間が違うようになる。

間に色んな人間が入ることで、「便利」にはなるけど、「不正」が入る要素も増えたんやな。

消費者が、安くて1回で全部買えることを求めた結果がこれっちゅうことですわ。

売る方は、口に入るモノを売ってるっちゅう意識も少なくなり、何個売れたかが重要になってきた。

食いもんに限らず、大量生産、大量消費に慣れたせいで、ゴミの量も大幅に増えてる。

便利を手に入れたおかげで、色んなもんを失ってきた。

こういう社会構造が過渡期に来とるんやろな。

それを気づかせる為に、こうやって色んな膿が出てきたと。

喉元過ぎたらすぐに忘れる民族やけど、何で安く買えるんか、何で1度に買えるんか、流通の仕組みやら、商社の介在やら、モノが出来てから、それを手に入れるまでの仕組みを消費者も知っとくべきやな。

それと、色んな人に「感謝」すること。

間に色んな人がおるから、安さと便利さを手に入れることが出来とるっちゅうことに。

「カネ出して買ってやってる」っちゅう意識が客を増長させて、表面上へいこらしとる売る側が「数字」だけを見て商品に対する思い入れがなくなった。

お互いが「感謝」をなくしたからこうなった。

まぁ、当然の結果っちゃ当然の結果か。

売る側も買う側も原点に戻って、今のうちにちゃんと修正しとかんと日本の未来はえらいことになる。

何にしても、食の安全・安心の崩壊は「消費者のニーズ」がもたらした結果なんは間違いない。

これまで通り、安くて便利を求めるか、高くても不便でも「安心・安全」を求めるか。

消費者自身が「買い物」について、考え直す時期に来てるんやろな。

消費者の意識が変わらんことにゃ、この状況は変わらんっちゅうことを肝に銘じるべきです。











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