八重の桜の視聴率が下げ止まらん…今日この頃。
(;^_^Aフキフキ
こんなに推してるのに、何とも影響力のない事です(笑)
あの子役がおらんようになったからか、ストーリーがイマイチ盛り上がりに欠けるから、八重の知名度が低いから…
ちゅうか、西島秀俊の体だけでもそっち方面(どっち方面やねん)の人が見そうやねんけどなぁ(笑)
41歳でこの体を保ってるのはすごい。
男から見ても惚れ惚れするわ(笑)
と、ドラマの話はこれぐらいにして、歴史の話をすると、会津藩は、こういう先進的な考えを受け入れる事ができんかったから、自滅の道を辿り、悲劇を招く事になるねんな。
会津藩の中でも優秀で、先進的な考えを持つ山本覚馬をこの時期に1年も禁足にするのなんか愚の骨頂でしかない。
山本覚馬は、後に「山本覚馬建白(三権分立、西暦の導入、二議院制など)」を明治新政府に進言して、重用される。
この辺が、薩長と会津の大きな違い。
この会津の体質が秋月悌次郎を左遷させ、神保修理は自害に追い込む。
秋月悌次郎が北村有起哉で、 神保修理が斉藤工やから、この辺の話もドラマに出てくるんやろな。
で、この体質を作ってるのが、日新館の場面が出て来ると「子、曰わく…」ってやってるように「儒教」がこの体質の基になってる。
「儒教」は、武家社会っちゅうか、封建制度を成り立たせる為には重要な学問で、ちゃんと習えばええんやけど、この儒教は一歩間違えば「差別」と「保身(既得権の保護)」を生む事になる。
現代でも通じてるんやけど、結局行き過ぎた上下関係(身分制度)の固定は、癒着と腐敗を生み、思考停止を招く。
どこぞの半島の国家が滅んだのも、「儒教」を悪用したからやねんな。
と脱線したので話を戻すと、実際、会津にも土佐藩ほどやないにしても、細かい身分制度とその身分での差別があった。
だから、山本覚馬の意見に耳を傾ける事ができんかってんな。
禁足が解かれてからは活躍するけど、やっぱり遅い。
で、この体質と初代藩主保科正之がつくった「家訓」が会津藩を「京都守護職」にさせ、新撰組を受け入れる事になる。
ここが運命の分かれ道なんやけど、先進的な考えを受け入れる事ができてたら十分な準備もできたし、家訓がなけりゃ薩長と敵になる事もなかった。
どこか1つでも「たら、れば」があれば、会津は滅んでなかったかもしれん。
まぁ、こうやって壮絶に散ったからこそ、140年経っても「美談」として語り継がれてるんやけどな。
ただ、これも武士から見た視点やから「美談」やけど、領民にしたら…
戦費調達の為に年貢を上げ、偽金つくりでインフレを起し、会津戦争で田畑を荒らした結果、「ヤーヤー一揆(会津世直し一揆)」が起きる事になる。
こうやって領民の心が離れた結果、明治政府から会津に近い猪苗代と縁もゆかりもない下北半島の斗南を提示されるんやけど、会津藩は猪苗代を選べず、自ら斗南を選択する事になる。
今となっては、会津地方の人にも「美談」として語られるようになったけど、当時の人にとって会津藩は恨みの対象でしかなかった。
「美談」になるのは、戦前の国威発揚の為に「会津武士道」に注目が集まり、白虎隊の精神が注目されてから。
個人的には、「美談」の方がロマンがあるんで、美談を支持するけど…
まぁ、「歴史」は立ち位置によって、見方が色々できるって事です。
何にしても、「幕末」、「維新」って言うと龍馬とかを中心に書かれるけど、「賊軍」とされる側にもこういう立派な志士がおった事を覚えて欲しいもんです。
それにしても、3話までを見終わって、個人的には満足してるんやけど、一番の不安は…
中野竹子が黒木メイサってとこな。
中野竹子が「絶世の美女」って事で選ばれたんやろうけど、黒木メイサはなぁ…
どうにもデキ婚トラブルが頭から離れません(笑)
まぁ、会津の銭湯は、混浴やったんやけど、見られるの嫌で中野竹子は銭湯に行かんと、自宅のタライで入浴してて、会津の男がこぞって覗きに行ったって逸話もあるんで、そっち方面の為の起用かもな(笑)
とにかく、八重の桜の盛り返しに期待します。
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